2018.10.05 08:00

【教育勅語発言】畏れと見識を欠いている

 驚くべき不見識である。文部科学相としてはもちろん、国会議員としての資質も問われる。
 第4次安倍改造内閣で初入閣した柴山文科相が就任会見で、戦前の教育の基本理念を示した教育勅語について「現代風にアレンジした形で、今の道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている部分がある」とし、一部を評価した。
 戦前教育の容認につながりかねない。看過できない発言だ。
 明治天皇の名で発布された教育勅語は、国民に皇国に身をささげるよう求め、軍国主義や戦争に結び付く精神的な仕組みを作り上げたといえる理念である。
 柴山氏は、使える部分として同胞を大切にするなどの徳目を挙げたようだ。しかし、教育勅語は天皇家の繁栄のために国民があるというつくりである。専門家は「一部をつまみ食いできる文章ではない」と疑問視している。
 戦争の惨禍を教訓に日本国憲法は施行された。個人の権利や自由を守るため、国家権力を縛る立憲主義に基づいている。その精神に準じて、民主主義的な教育理念をうたう教育基本法も施行された。
 翌年の1948年、衆参両院は、教育勅語に類する軍人への勅諭なども含めて排除・失効を決議。勅語とは明確に決別している。
 衆院の決議文は、根本理念が主権在君、神話的国体観に基づいており〈明らかに基本的人権を損ない、かつ国際信義に対して疑点を残すもととなる〉と記している。
 憲法に反する教育勅語と決別しなければ、戦後の国づくりと教育はスタートできなかったといえる。
 安倍政権は、国が個人より優先するかのような政策を推進し、憲法と立憲主義に挑戦し続けてきた。
 特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認と安全保障関連法、「共謀罪」法の制定がそれに当たろう。
 教育行政も同じである。
 第1次政権では、教育基本法に「国と郷土を愛する」と書き込んだ。昨年3月には憲法や教育基本法に反しない形で、としながらも、教育勅語の教材使用は否定しないという政府答弁書を決定している。
 教育勅語に関しては昨年、「森友学園」を巡る国会審議で、当時の稲田防衛相も「核の部分は取り戻すべきだ」と述べている。
 閣僚が代わっても同じ問題が繰り返されている。国会が真摯(しんし)な議論を経て残してきた意思決定に対する見識と、畏れの欠如がこの政権には通底している。これも1強政治のおごりではないか。
 菅官房長官は、柴山氏の発言に関し「真意や意図は承知しておらず、コメントを控えたい」とした。柴山氏に確認する考えもないという。野党側は言語道断だとして猛反発、臨時国会で追及する構えを見せている。当然の反応だろう。
 うやむやにしていい問題ではない。国の教育をつかさどる文科相の発言ならば、なおさらである。
カテゴリー: 社説


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