2016.05.17 08:10

奇跡の笑顔 全盲・重複障害を生きる(2)泣き崩れた母、支えた父

医師から説明を受けた後、理恵さんは初めて音十愛ちゃんを抱いた(2005年1月28日、高知赤十字病院新生児室、理恵さん提供)
医師から説明を受けた後、理恵さんは初めて音十愛ちゃんを抱いた(2005年1月28日、高知赤十字病院新生児室、理恵さん提供)
 「先生からお話があります。行きましょう」。看護師に声を掛けられた山崎理恵さん(当時37歳)は、ベッドから車いすに体を移しながら胸騒ぎを覚えた。

 2日前の2005年1月26日。高知市の高知赤十字病院で第3子を産んだ。38週目の定期検診で羊水がなくなっており緊急入院。2日後に帝王切開した。妊娠期間は十分だったが2166グラムと小さい。子供はすぐに別室へ連れて行かれて顔も見てない。お乳を飲ませてやりたい。「いつ会わせてくれるのですか」と看護師に尋ねるが、「保育器に入っているんで」「先生の許可が出ていないので」とかわされる。「未熟児で何となく体が弱いのかな、と想像してたのですが…」

 記憶によると医師は、口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)があり、両手指、両方の足首などに先天性の異常があること、脳や内臓に異常があるかどうかは成長とともに見ていかないと分からないことなどを説明した後、こう告げた。「お母さん、言いにくいんですが、実は目がないんですよ」

 「…先生! そんなことないでしょ。うそでしょ。ちゃんと見てください。まつげも出てるし、まぶたもあるじゃないですか!」

 「いや、ないんですよ。ちょっと鉗子(かんし)で開いてみたけど」

 「…ちゃんとまぶたが開けられるようになったら確かめてください」と言うのがやっと。泣き崩れた。

 幾つかの要因がよぎった。理恵さんは高知市内の病院の看護師だった。ケアマネ資格を持ち、療養型病棟で深夜勤もこなしていた。妊娠初期に出血したが、上2人は安産だったので、かかりつけ医を高知日赤に変更して仕事を継続。途中で配置替えもしてもらい、予定日の1カ月前まで働いた。

 「子供は3人欲しかったんです。40歳を前にラストチャンスだと思っていました。夫の転勤で高知へ来てまだ日が浅く、新しい職場に迷惑をかけたくなかったこともある。知らない土地、義父母との初めての同居。気疲れしてたのかもしれません」

 夏の台風では、冠水した道路をおなかまで漬かって帰宅したことも。「冷えたと思います。いろいろよみがえってきたんです」

 で、自分を責めた。「口は割れている。手の指はふぞろい。左足は足首から先が細くなって、足と言いづらい状態。『何という罪を犯してしまったのだろう…。ごめんなさい。神様、どうしよう』って」

 深い罪の意識に襲われる中、救いは夫の言葉だった。説明を一緒に聞き、泣きながら、「3人も産んでくれてありがとう。この子は自分たちを選んで生まれてきてくれた。だから、一生懸命育てていこう。絶対治してやるから!」と強い口調で言ったという。

 名前は誕生前から女児なら「おとめ」と決めていた。せっかく高知で生まれたのだから「乙女ねえやん」しかない。漢字と画数を必死で考えた。「音を感じ、愛で満たされますように」。思いを込めて「音十愛」と名付けた。

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