2016.05.16 08:10

奇跡の笑顔 全盲・重複障害を生きる(1)五体不満足での誕生

娘が笑顔になるまでの長い日々を語る山崎理恵さん(2015年11月7日、全国重症心身障害児(者)を守る会四国ブロック研修会)=コラージュ
娘が笑顔になるまでの長い日々を語る山崎理恵さん(2015年11月7日、全国重症心身障害児(者)を守る会四国ブロック研修会)=コラージュ
過酷な日々を乗り越えて
 2015年11月、高知市内で開かれた重症児親の会のシンポジウム。パネリストの山崎理恵さん(49)は笑顔でマイクを握ると、ためらうことなく話し始めた。

 「3人の子供を育ててきました。シングルマザーです。仕事も育児も介護もしながらの生活です。一番下の子の名は音十愛(おとめ)。間もなく11歳です。生まれてから両目の眼球がないことが分かりました。口唇(こうしん)口蓋裂(こうがいれつ)で、手足にも奇形が。脳の発達は年数を踏んで状況をみないと分からない、そう言われて育ててきました」

 誕生時からの写真がスライドで映し出される。会場はかたずをのんだ。

 「一生のうちの半分以上はこの時期に涙を流したと言ってもいいほど、泣き暮らしました。五体満足に産んでやれなかった。罪悪感に悩まされました。一緒に死んでしまいたいと思ったことも何度かあります」

 だが、2人の兄姉(きょうだい)もいる。「とにかく頑張らねばということで、みなさんに背中を押されながら立ち上がるんですが、どうやって育てていけばいいんでしょう。本当にいろんなことが起こっていったんです」

 出産直後からの母子入院は2カ月半。その後も入退院の繰り返しで、6歳半までに計13回、延べ約560日を病室で暮らした。ミルクを飲ませると口と鼻から噴きこぼれるなどのため、鼻からチューブで入れる日が4年も続いた。見えないことから起こる自傷は激しく、耳は腫れ上がって血だらけ、体はあざだらけ。昼夜を問わず泣き暴れるわが子。抱き締めてなだめるしかなかった。

 来る日も来る日も小児科、眼科、耳鼻科、口腔(こうくう)外科、形成外科、リハビリ部門を受診した。「子供は車の中で泣き続けるわけです。着いて、待って、診てもらうのは10分か20分。夜も眠れず、治療、訓練で疲労困憊(こんぱい)です。母子入院になるので、上2人は主人に預けっ放し。寂しい思いをさせてしまいました」

 5年目、音十愛ちゃんの体調が落ち着くと今度は夫が心身の不調をきたし長期の休職が繰り返された。理恵さんが働き始めるが、次第に歯車が狂い、2015年春、家族は二つに別れてしまった。そして2カ月後、理恵さんも心身が参って動けなくなる。最大のピンチ。だが、天は見捨てず、今がある。

 淡々と話すこと30分。最後の写真を前に理恵さんは言った。「見てください。こんなにすてきな、宝物のような笑顔になりました。笑ってくれる日が来るなんて想像もできなかった。関わってくださった方々のおかげです。子供って可能性があるんだなと感じます。だから、在宅の生活が光り輝いて楽しくなるように、サービスが充実してくれるように心から祈ってます」。涙ぐみながら訴えた。

 30分間に凝縮された壮絶な人生。母はどれほど眠れぬ日々を過ごしてきたのか。全盲の重複障害児の親子の11年間を追い、高知県の在宅福祉事情を考える。
    (高知新聞 編集委員・掛水雅彦)

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