2018.09.12 08:00

【公文書の管理】国民に顔を向け運用せよ

 国民に顔を向けて仕事をする意識はあるのか。安倍政権下の中央省庁でまん延する説明責任の軽視をあらためて危惧する。
 経済産業省が今年3月、新しい公文書管理のガイドラインを職員に説明した内部文書で、政治家らとの折衝記録は「議事録のように個別の発言まで記録する必要はない」と指示していたことが分かった。
 ガイドラインは昨年末、森友、加計両学園の問題や南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊の日報問題を受け、公文書のずさんな管理を改善するため政府が見直した。
 政策立案に影響する省内外との「打ち合わせ記録」は行政文書として扱い、情報公開の対象と位置付けている。
 ところが、経産省の内部文書では「記録はいつ、誰と、何の打ち合わせ」をしたかが「分かれば良い」と外形的な内容にとどめるように受け取れる表現もあった。
 記録はできる限り残すな、と言わんばかりの指示ではないか。こうした運用では、政治家らとの折衝で「どんな」話があり、政策立案や事業実施にどう影響したかを後になって検証することはできまい。行政の意思決定過程がブラックボックスに入りかねない。
 行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、現在および将来の国民に説明する責務が全うされるようにする―。公文書管理法はそう目的をうたう。
 経産省の指示は、法の趣旨をないがしろにし、管理を改善する方向性に逆行している。野党は「森友、加計学園問題の反省がない」「新ガイドラインを骨抜きにする」と一斉に批判した。当然の反発だろう。
 安倍政権下では、森友学園を巡る財務省の決裁文書改ざんという前代未聞の不祥事も起きた。国民への責務を冒瀆(ぼうとく)する行為を受け、政府は今年7月にも公文書の管理体制強化など再発防止策を打ち出した。
 しかし、公文書の対象の曖昧さは依然残る。当局が公開の対象にならない「個人メモ」と判断すれば、行政の意思決定に関する文書でも恣意(しい)的な作成や管理を許す恐れは指摘され続けている。
 公文書は、「国民の貴重な共有財産」「民主主義の根幹を支える基本的インフラ」と定義される。
 定義に沿って官僚が国民に顔を向け、自分たちの仕事を歴史の評価にさらすという意識を徹底しない限り、不都合な文書は作成しない、隠す、廃棄するといった悪弊は改善されまい。
 経産省の指示に関し、菅官房長官は「公文書管理法を逸脱することはない」と強調。世耕経産相もガイドラインに沿ったものだとして問題ないとの見解を示している。だが、認識が甘過ぎはしないか。
 安倍政権下では、官僚が過剰に首相官邸の顔色をうかがう1強政治の弊害が指摘されている。その意識改革を促してこそ、正直、公正な政治の第一歩となろう。
カテゴリー: 社説


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