2018.07.19 08:40

[ふれあい高新in越知町]  山中に「土佐の投入堂」

まるで投げ込まれたかのように、崖のくぼみに立つ聖神社(写真はいずれも越知町南ノ川)
まるで投げ込まれたかのように、崖のくぼみに立つ聖神社(写真はいずれも越知町南ノ川)
命懸けで社修復
 こちらの写真を見て気付かなかった人はもう一度、写真の中央よりやや右下をじっくり見てほしい。崖の真ん中に開いた穴に社がぽつんと立っているのが分かるだろう。高知県高岡郡越知町南ノ川の深い山中。高さ約200メートルの断崖絶壁のちょうど中腹辺りに「土佐の投入堂(なげいれどう)」こと聖(ひじり)神社があり、この地区出身の2人の「岡村さん」が守り続けている。

谷川に架けたつり橋を渡る岡村豊延さん=左=と岡村忠男さん
谷川に架けたつり橋を渡る岡村豊延さん=左=と岡村忠男さん
 投入堂といえば一般的には、国宝の鳥取県の三徳山三佛寺(みとくさんさんぶつじ)投入堂のことを指す。崖に仏堂を法力で投げ入れたという言い伝えから、その名で呼ばれる。

 「土佐の投入堂」は1879(明治12)年に改築された記録が残っているものの、いつ創建されたかは分かっていない。山岳宗教の修験道の修行の場だったとも言われる。

 60年ほど前までは近くの小日浦(こびうら)集落に約200人が住んでおり、住民たちが通っていた。しかし、その険しさから次第に集落の人の足が遠のいた。

 屋根が崩れ、床が抜け落ちている状態を知り、「もったいない。なんとかせんと」と立ち上がったのが岡村豊延さん(80)=越知甲。30年前、1988年12月のことだった。

 絶壁にはしごを作るところから始めた。社での作業も落ちれば命に関わる大仕事。豊延さんは腰に命綱を巻き、滑車を通したロープの端を妻、袈裟子さん(故人)が持って支えた。夫婦で命懸けの作業を続けた。

 2人が“難工事”に取り組んでいることを聞きつけた集落の出身者らが材料費を寄付してくれたり、資材の運搬を手伝ってくれたり。2カ月ほどで修復は完了した。

 2004年からは参道の整備に取り掛かった。ここで加わったのが、やはり集落の出身者、岡村忠男さん(88)=越知甲。2人でほぼ毎日くわを手に急勾配の山を登って整備作業をした。

 関西で鉄工所を営んでいる豊延さんの弟や地域おこし協力隊員らの力も借りた。谷に鉄製のつり橋を架け、昭和初期に行われていたマンガン鉱の採掘で使われた坑道も道の一部として整備。参道など約1・2キロの道を通した。

 「今考えたら体力と熱意があったもん。ようやったわ」と笑い合う2人。近くの大タヲ山には展望所も整備。ツツジの時季などには、餅まきや歌謡ショーとイベントも開いて、灯の消えゆく故郷を盛り上げる。 

 「年も年。後は引き継いでくれる人ができたら」と言いながら、「越知の目玉の一つにしていきたいね」。2人の目はまだまだ衰え知らずだ。(飯野浩和)

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カテゴリー: 社会ふれあい高新2018社会高吾北


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