2016.02.09 10:47

小社会 きのうは、折れたり曲がったりした針を供養する…

 きのうは、折れたり曲がったりした針を供養する「針供養」の日だった。家庭での針仕事は少なくなったとはいえ、高知市の潮江天満宮でも毎年恒例の行事となっている。

 同天満宮では軟らかい豆腐に針を刺して供養する。こんにゃくに刺す寺社もあるようだ。「針は硬い布も縫うことがあるので、軟らかい豆腐に刺して労をねぎらう習わしです」。宮司さんに教わった。

 「供養」のサンスクリットの語源は、尊敬をもって、ねんごろにもてなすこと(「岩波仏教辞典」)。民間信仰では針だけでなく、人形や茶道の道具など、さまざまなものを供養する。万物に命が宿るとする仏教の思想が脈々と流れているのだろう。

 ましてや死者、それも家族ら身近な人の供養ともなれば、万感の思いが伴うに違いない。死者・行方不明者が1万8千人を超えた東日本大震災から間もなく5年。最近は新聞などで、現状を伝える記事や特集を見ることが増えた。遺族や被災者らの話に、胸を締め付けられる。

 犠牲になられた方々を単に数字だけで語ることは、紙幅の都合とはいえ、今もはばかられる思いがある。彼らは遺族らにとって一人一人がれっきとした名前を持つ、生身の人間だ。供養に当たっては、語源の「尊敬の心」、「ねんごろなもてなしの心」を肝に銘じたい。

 あの日と同じ、まだ浅い春の日々の中で、5回目の「3・11」へのカウントダウンが始まっている。
カテゴリー: 小社会コラム


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