2018.07.07 08:00

【オウム死刑執行】真実に迫る努力続けたい

 地下鉄、松本両サリン事件などオウム真理教による犯罪で、死刑が確定していた松本智津夫死刑囚ら7人の死刑囚の刑が執行された。
 無差別テロなどで死者計29人、6500人以上の被害者を出した。未曽有の凶行に対する国民感情は厳しいものがある。死刑制度を有する法治国家である以上、執行の日はやってくる。
 一方で裁判を通して、松本死刑囚が事件の真相を語ることはついになかった。その機会は永遠に失われたことになる。
 死刑執行によってオウム事件が終結するわけではない。優秀な若者たちがなぜ、殺人や犯罪行為に走ったのか。核心の闇に迫る取り組みを続けなければならない。
 松本死刑囚の逮捕から23年。犠牲者の遺族や、サリンなど毒物の後遺症に今も苦しむ被害者や家族からは「(執行は)やっとという気持ち」「ようやく一息つける」といった声が聞かれる。想像を絶する恐怖や苦痛、悲しみを思えば当然だろう。
 ただし、厳しい処罰感情だけではないのも事実だ。「真実に迫ることができなくなって残念」「テロ対策という意味でもっと彼らには話してほしかった」と、複雑な心情を吐露している。これは多くの国民も共感する思いだろう。
 刑が執行された死刑囚の中には、成績優秀で地元で「神童」と呼ばれていた者がいる。子ども時代には友達が乗った車いすを押す姿が、よく見掛けられたという。高学歴で優しい若者たちがなぜ、オウム教団に居場所を求め、殺人をも正当化する教義を受け入れていったのか。マインドコントロールの実態とはどんなものだったのか。
 格差社会の現在。疎外感や生きづらさに悩む若い世代は少なくない。オウムとは何か。事件はなぜ起きたのか。原因が分からないままでは、「第二、第三のオウム」が現れかねない。テロをなくすには、テロを生みだす社会の土壌から改良していく必要がある。
 教団中枢を占めた死刑囚たちが自ら語る機会は失われる。彼らは事件をどう総括していたのか。裁判資料や他の教団関係者らの証言などを通して、社会全体で考えを深めていかなければならない。
 松本死刑囚は一審で不規則発言を繰り返した揚げ句、途中から沈黙に転じた。その訴訟能力や刑を執行できる精神状態にあるかどうか、疑問視されてきた経緯があった。それだけに識者からは、「治療を受けさせ裁判で語らせるべきだった」との指摘も出ている。
 真相を解明するために刑を執行せず繰り返し事情を聴いて、その内容を社会に還元する―。それには死刑制度の是非を検討することが求められよう。
 世界的には死刑廃止の流れとなっているものの、日本では国民的議論になってこなかった。オウム死刑囚の刑執行は、積み残された死刑存廃の問題をも提起している。 
カテゴリー: 社説


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