2018.07.04 08:35

高知大空襲直後の惨状撮影 高知市の故・川崎さん自宅で保管

堀詰の辺りから高知城の方向を見渡す。左手は電車通り。右上の通りの北側に、かろうじて焼け残った民家の並びがある
堀詰の辺りから高知城の方向を見渡す。左手は電車通り。右上の通りの北側に、かろうじて焼け残った民家の並びがある
73年前 一面焼け野原
 1945年7月4日の高知大空襲の直後に高知市内を撮影したとみられる写真が、元銀行員で、アマチュア写真家だった故・川崎芳五郎さん=同市=の自宅で見つかった。おびただしい市民の死者を生んだ米軍機爆撃のむごたらしさ、町の文化を丸ごと奪い尽くし、焼け野原に変えた非情さが伝わる。
 
電車通りから南の鏡川方面を望む。左手前は四国銀行とみられる。奥には筆山や、潮江天満宮のクスノキがある
電車通りから南の鏡川方面を望む。左手前は四国銀行とみられる。奥には筆山や、潮江天満宮のクスノキがある
 写真は5枚あり、黒炭色のがれきだらけとなった電車通りや帯屋町、播磨屋橋付近などが写し出され、写真の裏面に鉛筆で「昭和20年7月~8月」などと記してあった。
 
現在の中央公園付近から播磨屋橋方面を見る。手前から新京橋、使者屋橋、播磨屋橋
現在の中央公園付近から播磨屋橋方面を見る。手前から新京橋、使者屋橋、播磨屋橋
 土佐史談会の元副会長、谷是さん(78)=同市=によると、そのうちの1枚には焼け残った四国銀行の建物が見え、奥には筆山や、潮江天満宮のクスノキがある。...

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カテゴリー: 社会高知中央


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