2018.02.19 08:00

声ひろば 2018年2月19日、月曜日

1.父の写真
【岩本明夫、88歳、中土佐町】
 昭和15年春、徴用船(戦時中強制的に国のために使用)としての務めもやっと終え、内地へ帰ることになり、約40隻が無事広島県宇品港へ帰った。
 わが家の住宝丸もこのうちの1隻で港では総員上陸。憲兵のあいさつがあり、「みんな長い間ご苦労であった。明日はそれぞれの港に帰るだろう。船の中に違反品など積んでいないと思うが、もし積んでいた船が1隻でもいた場合、気の毒ではあるが全船揚子江まで戻ってもらうことになる」とのことで、皆船に帰り、日が暮れるまで違反品を捨てたらしい。しかし、明くる日は何の調査もなく時間が来て出港(解散)となったとの事であった。
 私たち家族は船の帰りを待ち、ようやくその日となった。私は小学5年の時であったが、午後3時ごろ学校を終え家に向かった途中、近所のおばちゃんが、「はよう家へ帰っちゃりや。お父ちゃんが帰って来て明ちゃんを待ちよったぜよ」との事。急いで家に帰り次の間に足を1歩踏み、そのまま止まり、1歩後ずさりしたらしい。あまりにも父の顔色が黒いし、鼻の下の口ひげがすごく、今までの父と違う。いったん離れて言葉もなかった。
 時間がたつと次第に話ができるようになりうれしかったが、妹はかわいそうであった。部屋の外からでも父の顔を見てびっくりしたのではないか思う。その日はしばらく帰らなかった。
 私は子供時代の思い出としてこのことは今でもはっきり覚えている。なお、この父のひげの写真は今でも私の手元にある。

2.なくしたくない気持ち
【大野早苗、66歳、主婦、高知市】
 今年は例年より雪のニュースが多く、寒い日が続いています。でも2月3日の節分を過ぎたら、暦の上ではもう春です。どんなに寒くても、草や花はしっかり春の準備をしています。
 私の小さな庭でも、ホトトギスは巻き貝のような芽を出していますし、ミヤコワスレも濃い色の茎を伸ばしてかわいい蕾(つぼみ)を付けています。
 春を待つ今の時季は、ワクワクします。毎日、何かしら新しい発見があります。茶色だった景色が少しずつ明るい色に変わっていく様子はすてきです。
 春を待つ。それは季節の上だけではなくて、心の春を待つ気持ちも大切にしたいものです。いくつになっても「できなかったことができるようになる」「欲しかったものを手に入れられる」「なくしたものがいつかきっと戻ってくる」といった希望は、持ち続けたいものです。
 どんなに寒くても、必ず春はやって来ます。ジンチョウゲの蕾はもう咲き始める日を待って、ふっくらと膨らんでいます。

3.戦中・戦後のくらし展
【清岡司(つか)子、89歳、主婦、高知市】
 このたび、高知市のかるぽーとで開かれた「戦中・戦後のくらし展」に、多くの方々が来訪されたと新聞で見て、本当によかったと思いました。戦争を知らない人たちにこそ見てほしかった催しでした。
 お国のため、大君のため「海行かば」の歌のもとに、命をささげられた兵隊さんのご遺骨が、今なお海外に110万柱も残されていると、先日の本欄で読み、早く日本へ帰してあげたいと涙が込み上げました。
 「くらし展」を私も訪れました。展示には、幼子を何人も残された母親が「お父さんの所へ皆で一緒に行こう」と、夜中に日本手ぬぐいを握っていたという、少女の手記などがあり、涙ながらに読みました。
 また戦災の翌日に学校へ行ったら、山崎熊吉先生が「こんな日に登校して偉かったね」とほめてくださり、「早く帰って家の手伝いをしなさい」と言われたという文もありました。熊吉先生の唐人町の家も全焼していたのに、学校はどうかと見に来られた実直な先生がしのばれました。
 私たちも学徒出陣し、男は戦地、女は銃後の守りを固めた大東亜戦争でした。
 高知空襲の時、あまりに低空で飛び交うので生きた心地がしませんでした。
 ある時は、空襲警報が出たのに敵機が見えないので歩いていたら、急降下して来た戦闘機に撃たれそうになり、門構えのある家へ駆け込みました。操縦士の黒眼鏡まで見えました。
 また自宅の庭にジュラルミン製で油脂の入った焼夷(しょうい)弾が落ち、キビの葉でたたき消したことも―。そんないろいろなことを思い出し感無量になりました。
 あれ以来七十数年続いたこの平和。どうかずっとずっと続きますよう願ってやみません。

4.デイケアへ
【千頭正寿、101歳、須崎市】
 チィチィパッパを歌わされるケアへは、死んでもいかんと決めちょった。
 けんどこの年になると、毎日2階でひとり、寝たり起きたりで、ストレスがたまったり、運動不足になったり、これじゃいかんと、ケアをちょっとのぞいてみるかという気になった。
 ためしにひいとい出席したら、びっくり、じいさん、ばあさんみんな黙って笑い声一つしない。これじゃうば捨て山じゃ、こんなところで一日中辛抱できんと、早々逃亡帰宅した。
 しかしやっぱり環境変化が欲しいので、次の週、しぶしぶ出かけ、ひとり一日中持参の本を読んで過ごした。
 施設の介護員さんはみんな、かゆい所へ手が届くように会話や運動をしてくれる。
 まあ、こんなことで、「百歳人生」を過ごすことができるようになった。

カテゴリー: コラム

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