2002.02.11 07:30
土佐の果物語(31) 第5部 (3)海は遠く 栽培可能な限界
南国市の海岸部から離れること約九キロ。周囲は山に囲まれている。北向きの畑に立っていると、冷たい風がほおに当たる。
「ポンカンの適地じゃあないです。ポンカンはインドが原産地で気温も高く、日照量も要る。温度的には絶対足らんし、海岸部から言うたら日照も少ないし、(栽培地として)限界の所やろうねえ」
岩原生興の取締役、岩原正さんがあっさりと言う。
正さんは昭和三十年代に兄の隆明さんと一緒に現在の場所よりも六キロほど奥で温州ミカンを栽培していた。ところがそこで寒害に遭う。新しい土地を探した末、今の場所に。昭和四十年代後半ごろからポンカンを植え付けた。
約十ヘクタールのうち、露地の作付面積は約四ヘクタール。軽自動車が通れる程度の作業道が設けられている。
「宇和島市とかでは空の太陽に加えて海と石垣の照り返しという『三つの太陽』を言うが、(ここは)海がないきにね。地面から受けんと。それが大事ですわ」
山をぐるりと囲むように、南向き、北向きの斜面に植えられたポンカンは約八千本。地面からの太陽光の反射を活用するために、樹高を抑えている。枝の隅々まで光が当たるように剪定(せんてい)し、まるで家庭用のクリスマスツリー。
空と地面の太陽光の次は?
「三つ目はないわ。食べるもんやきね、おいしいものづくりに徹することが大事」
限界地帯でポンカン作りに挑む。