2018.01.28 08:36

【いのぐ】宮城で被災の元小学校長が講演 心の備えから始めて

 
高知新聞社主催の防災イベント「一宮東いのぐ塾」が26日、高知市一宮東町1丁目の一宮東小学校で開かれ、宮城県石巻市の門脇(かどのわき)小学校の校長だった鈴木洋子さん(67)が講演。一宮東小の児童に地震や津波の恐ろしさを語った。
 

【元門脇小校長・鈴木洋子さんの講演内容】
 私が校長を務めていたのは石巻市立門脇小学校です。学校は7年前、地震と津波、そして火災に見舞われました。
 
 学校は海から800メートル、川から500メートルの所にあって、津波は海からだけでなく川をさかのぼって押し寄せました。海沿いにある門脇町・南浜町地区には1700世帯、5千人が住んでいたんですが、津波に流され真っさらになりました。この恐ろしい津波からどう逃げたかをお話しします。
 
 午後2時46分、突き上げるような強い揺れに襲われました。私は1978年の宮城県沖地震も体験していますが、比べものにならない強さでした。放送機器が壊れ避難指示も出せなくて、先生たちが手分けして「早く校庭に逃げなさい」と叫んで回りました。
 
 約10分で校庭に整列したところ、大津波警報のサイレンが聞こえました。地震を想定した普段の避難訓練では、校舎裏の日和(ひより)山に逃げていたので、その通りにしました。上着も着ず飛び出した子どもたちは雪が降りしきる中、必死に登りました。
 
 海抜40メートルの避難場所の公園では、上級生がブルーシートを持って寒さに震える下級生を囲って寒さから守りました。
 
 地震発生後約30分で、燃える家屋をのみ込んだ津波が、割れんばかりの音をとどろかせ山にぶつかりました。しぶきが高く恐怖を感じてさらに15メートル高い場所へ逃げました。
 
 迎えに来る親がいる一方、職場が遠かったり道が遮断されたりして来られない親も多かった。残された子どもたちと先生ら約60人は火の海となった石巻を見ました。帰る場所がなくなってしまった絶望感の中で避難所を回りました。やっと石巻高校に避難できたんですが、その夜の食事は、せんべい4分の1かけとペットボトルのキャップ1杯の水でした。
 
 避難生活3日目になるとほとんどの親が迎えに来ましたが、1人だけ迎えのない子がいました。5日目、遠くに住む親戚のおじさんおばさんが来たんです。その時両親を亡くしたことを悟ったか、その子は顔を真っ赤にしました。今でも思い出すことです。
 
 校内の子どもたちはみんな助かりましたが、早く下校した7人が犠牲になりました。他にも家族や親戚を亡くした子が多くて、一瞬で命が失われたことを思い知らされました。
 
 この経験を教訓に、皆さんに伝えたいことがあります。
 
 まず、地震や津波について学んでほしい。高知沖のプレートが跳ね返って地震が起こり津波が来ます。津波はたった5センチでも危険な上、とても速くて、見えてから逃げるのでは遅い。
 
 次に、避難訓練を真剣にしてください。助かった生徒や先生は「訓練通り逃げたから助かった」と口をそろえます。地震が起きた時に落ち着いて避難できるよう、集会に静かに素早く集まったり授業を真面目に聞いたり、普段からの心掛けが大切です。自分で考え判断する力や、みんなで助け合えるように学年を超えた交流も必要です。
 
 最後に、今日聞いた話をおうちでしてください。家の家具を固定してますか? 3日分の防災食を用意していますか? いいですか、これが今日の宿題です。
 
 震災後閉校になった門脇小の子どもたちはこの経験をしっかり語り継ごうと決意して、今日も頑張って生きています。皆さんも南海トラフ地震がいつ来てもいいように、心の備えから始めてください。

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カテゴリー: 社会いのぐ災害・防災高知中央


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