2016.04.07 07:03

小社会 偏屈な世捨て人。酒に溺れ、周囲に迷惑をかける。…

 偏屈な世捨て人。酒に溺れ、周囲に迷惑をかける。知人にしょっちゅう金の無心をする――。孤高の自由律俳人・尾崎放哉の、いまに伝わるすさんだ実生活である。90年前のきょう41歳で没した。

 鳥取県に生まれ、一高、東京帝大を出たエリートだが、大手保険会社の要職を捨てて妻とも別離。関西の寺々で下働きをしながら放浪し、句作と酒の日々を過ごした。代表作の一つに〈咳(せき)をしても一人〉。

 放哉が最後に流れ着いたのは香川県小豆島。土庄町の島霊場58番札所西光寺の奥の院、南郷(みなんご)庵(あん)で約8カ月間、病苦にもがきながら句作に励んだ。辞世は〈春の山のうしろから烟(けむり)が出だした〉。

 南郷庵を復元した「尾崎放哉記念館」を訪れると、前庭に句碑がある。〈いれものがない両手でうける〉。実生活は破滅的でも、句は率直で感謝の気持ちに満ちている。著書に放哉の評伝もある村上護さんは、「虚飾となるものは一切捨ててしまって、無一物になっている」と評している。

 自由律俳句は季語や五七五などの約束事にとらわれない。世を捨て、家も捨てた人だからこそ、定型俳句に収まらないのか。冒頭のような性癖から当時は周囲から受け入れられなかった放哉だったが、命日には毎年、記念館近くの墓に酒をかけて手を合わせるファンの姿があるという。

 万事にカネが幅を利かせ、物質的には満たされた現代に、なお力を失わぬ数々の句が問うものは何か。
カテゴリー: 小社会コラム


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