2017.11.09 08:00

【朝鮮通信使】継承すべき友好の証しだ

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に、日本と韓国に残る江戸時代の外交資料「朝鮮通信使に関する記録」の登録が決まった。
 群馬県高崎市にある古代石碑群の「上野三碑(こうずけさんぴ)」も登録されることになった。いずれも価値は大きいが、朝鮮通信使は国際交流の先駆けといえそうな取り組みだ。
 注目すべきは、日本と韓国の団体が共同で朝鮮通信使の登録へ活動を進めてきた点である。戦争をはじめとして、紆余(うよ)曲折をたどってきた日韓関係を考えれば、登録を実現させた意義は極めて重い。国境と歴史を超えた相互理解の大切さを広く呼び掛けることになろう。
 「世界の記憶」は歴史的に重要な文書や絵画などの推薦を受け付け、2年に1回審査する。登録されるのは人類が記憶し、将来に残すべき文化的な財産といっていい。
 朝鮮通信使は室町時代に始まったが、豊臣秀吉による朝鮮出兵で一度断絶した。国交回復のため朝鮮国王が徳川将軍家に派遣した使節団である。将軍の代替わりや世継ぎの誕生を祝うなどとして1607~1811年に日本を12回訪れた。
 医師や楽団員、文官・武官ら総勢300~500人が、釜山から船で長崎・対馬を経て瀬戸内海を通って大阪へ。淀川をさかのぼり、京都からは東海道で江戸を目指した。
 途中の宿場では日本の医師や学者らが競って面会を求め、教えを請うた。芸術や医療の分野で交流が生まれたほか、一行の異国情緒が沿道の人々を楽しませた一面もあるという。友好の歴史の証しとして、朝鮮国王の書や藩が接待した記録などが国内各地に残されている。
 登録に向けた活動は2012年に始まった。日本の関係自治体と日韓の民間団体でつくるNPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会が、釜山文化財団の提案に応じた。善隣外交の記録を今に生かせないものか―活動の原動力は、そうした強い熱意だったに違いない。
 ユネスコは憲章に、任務と目的を「教育、科学、文化を通じた国際交流を促し平和と安全に貢献する」と掲げる。日韓官民の協力はこの内容を体現したといえる。
 中国からの「南京大虐殺」資料が登録されたのを受け、日本が拠出金を一時留保した経緯がある。審査が非公開のため、過程が不透明との指摘もたびたびだ。ユネスコは先ごろ、関係国から意見聴取する手続きを取り入れる方針を示した。
 中国や韓国の民間団体が今回、旧日本軍による従軍慰安婦問題の資料を推薦したものの、判断は延期された。慰安婦問題に関する15年の日韓合意は、韓国側の政権交代の後、宙に浮いたに等しい状況だ。
 後世に伝えるべき記憶にはさまざまあろう。負の遺産といえる戦争も当然含まれる。だが争いの過去は乗り越えられることを日韓の人々が証明した。登録制度の趣旨を再認識するきっかけにもなるはずだ。
カテゴリー: 社説


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