2017.11.07 08:40

むすび塾×いのぐ塾 in 安芸 「語り部」講演(2)

両親が津波の犠牲に。閖上で被災した住民有志で「閖上復興だより」を創刊
両親が津波の犠牲に。閖上で被災した住民有志で「閖上復興だより」を創刊
安全神話信用しない
格井 直光さん(59) 仙台市

 宮城県名取市の平野部はほとんどの木造住宅が津波で流されてしまいました。地震の数日後、自宅のあった辺りに戻ってみたが何もありません。両親も失い、私はただ呆然(ぼうぜん)と立ち尽くすだけでした。

 両親の遺体を見たいという思いで毎朝安置所に行き情報収集するのが日課でした。「こんな日常あるのだろうか」「日常って何だろう」。そんなことを思う日々でした。

 地震から半年後、ばらばらになった閖上(ゆりあげ)の住民同士で情報共有したいとの思いで制作を始めたのが「閖上復興だより」です。

 復興だよりを作る過程で、「地震があったら津波に用心」と刻まれた石碑を地域の山で見つけました。この言葉さえ住民に伝わっていれば、大勢の犠牲者を出さずに済んだのではないでしょうか。

 昭和35(1960)年のチリ地震で宮城県の海岸線は津波浸水したが、閖上は浸水しなかった。このことから「津波は来ない」という考えが住民に広がってしまいました。

 2001年にできた津波ハザードマップで、閖上は8メートルの津波でも浸水しないとされていました。だから、逃げようとしない人がいて犠牲になりました。ハザードマップは信用できないし、安全神話などないのです。

 閖上では今、土地を海抜約5メートルまでかさ上げし、今年の4月からは、やっと住民が戻れるようになりました。2週間前に行った芋煮の会には多くの地元の人が来ました。「戻ってきたよ」という報告を兼ねて…。

 自分の命を守ることは皆の命を守ることにつながります。皆が集まれば困っている人を助けることができ、復興が早くなります。自然災害を防ぐことはできません。しかし命を守ることはできるんです。


津波で義母が行方不明に。現在は宮古市田老地区で被災地ツアーのガイドとして教訓を伝える
津波で義母が行方不明に。現在は宮古市田老地区で被災地ツアーのガイドとして教訓を伝える
教育、訓練、伝承を
元田 久美子さん(60) 岩手県宮古市

 岩手県宮古市の田老地区は115年の間に3度、津波を経験しています。明治29(1896)年の明治三陸地震では15メートルの津波で1859人が亡くなり、助かったのは36人だけでした。昭和8(1933)年の昭和三陸地震では10メートル、東日本大震災で17・3メートルの津波が町を襲いました。

 古くから何度も津波に襲われ「津波太郎(田老)」と呼ばれた町だからこそ、いろいろな取り組みをしてきました。十字路は、出合い頭にぶつからないように「隅切り」(交差点の角を削った形状)にし、全ての道路は避難道に向けて造っていました。どこに住んでいても5分から10分あれば自分の命を守れる町づくりをしていたのです。

 また、「万里の長城」に例えられ、教科書にも載ったスーパー防潮堤がありました。しかし、これは津波を食い止めるものではありません。波の力を左右に散らし、その間に高台に逃げなさいというものです。

 東日本大震災では実際、この防潮堤を津波は越え、その真下にあった町はなくなりました。4400人の町で181人が犠牲になりました。

 私は2012年から震災の記憶を語り継ぎ防災意識を高める「学ぶ防災」という活動をしています。スタッフ5人で13万人に案内をしてきました。体験型のコースでは、震災当時に中学生が避難した険しい避難道を歩いてもらいます。

 またいつか来るであろう災害に向け私たちがしなければいけないことは教育、訓練、伝承です。そして最も大切なのは、自分で自分の命を守る意識です。

 「自分は年寄りだから」と言って逃げなかった人を助けるために亡くなった人がいます。人に迷惑を掛けないためにも逃げてください。

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カテゴリー: 社会いのぐ災害・防災


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