2017.11.07 08:40

むすび塾×いのぐ塾 in 安芸 「語り部」講演(1)

安芸市出身。周囲から高知への避難を勧められたが、現地で鍼灸(しんきゅう)マッサージ師として活躍
安芸市出身。周囲から高知への避難を勧められたが、現地で鍼灸(しんきゅう)マッサージ師として活躍
役立った備えと訓練
山岡 縁さん(42) 熊本県西原村

 去年の熊本地震は4月14日の前震の後、16日の本震が来た時は死を覚悟しました。家のドアは全て吹き飛び、ガラス製の照明が粉々になって降りかかってきました。

 エアコンの室外機も倒れ、縦長のエコ給湯器は村内でほとんどが倒れました。うちはいまだに直っていません。エコ給湯器が壁をもぎ取って倒れている家もありました。農道もまだ直っていない所があります。

 今でも近所に住んでいたおばあちゃんのことを思い出すとつらいです。このおばあちゃんは前震の後、知人の家に避難していたのですが、夜になって自分の家に帰ったところで本震に遭い、犠牲になりました。

 おばあちゃんの娘さんは「なぜ自分の家に来させなかったのか」と今でも後悔しているそうです。その話を聞いて、少しでもその時に感じたことは行動に移すべきだと今は思います。

 前震の前日に地元の消防団が救出の訓練をした地域がありました。消防団員は「地震なんて来ないのに、何でこんなことしないといけないのか」と思ったそうですが、この地域では一人も犠牲者を出しませんでした。結果的に訓練は役に立ったのです。

 地震の時に役に立ったことがあります。うちは小さな子どもがいるので、日頃から車内にタオルや毛布を積んでいました。寒い夜の車中泊で、これがすごく重宝しました。

 前震の後、浴槽の水を満タンにしたことも役立ちました。水が出なくなった後、3日ほどはこれで確保することができました。あと、備えておいた方がいいのはガソリン。車がないと移動できないし、ガソリンスタンドはとても混んですぐに入れることができません。常に満タンにしておくことをお勧めします。


震災時は宮城県東松島市の野蒜小6年生。避難した体育館に津波が押し寄せ、間一髪逃れた
震災時は宮城県東松島市の野蒜小6年生。避難した体育館に津波が押し寄せ、間一髪逃れた
家族を信じて逃げて
志野 ほのかさん(18) 宮城県石巻市

 私は宮城県東松島市の野蒜(のびる)地区で生まれ育ちました。野蒜には約5千人が暮らしていましたが、震災で約500人が亡くなりました。

 当時は小学校6年生で、あの日、下校しようと校門を出た時に地震が起きました。校庭に行った後、体育館に避難しました。1時間後、突然体育館がざわつき始め、座っていた人がどこかに行き始めたので2階に上がりました。

 下を見ると滝のように人や物をのみ込んで水が流れ込んできました。車いすのおばあさんが、だんだん見えなくなりました。ピアノやがれきが洗濯機のように渦を巻いていました。泥水からは誰かの手が見えました。

 その日、自宅にいたおじいさんと会えたのは2週間後でした。遺体安置所のひつぎの中で、泥を飲んで苦しそうに口を開け何かを言っているようでした。最後の姿は近所の人が見ていました。「ほの(志野さん)が帰ってきたらすぐ避難する」と言っていたそうです。

 震災の2日前にも東北では大きな地震がありました。あの時、家族で「各自で避難しよう」と確かめていたら、犠牲にならずにすんだかもしれません。

 自分の命は自分で守ってください。家族の帰りを待ったり、家族を助けに家に戻ったりせず、それぞれを信じて逃げてください。

 私はおじいさん子でした。家に帰ると「おかえり」と声が聞こえるのが当たり前でした。あの日伝えられなかった「ただいま」を私は毎日、写真の中のおじいさんに伝えています。

 生きたくても生きることができなかった人がたくさんいます。その人たちの分まで生きている私たちは、災害で命を落とすようなことがあっては絶対にいけないと思います。

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カテゴリー: 社会いのぐ災害・防災


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