2008.02.05 08:02
漁の詩 高知の漁業最前線(63) 第5部(終)土佐の遺産 次世代に
眼下は一面、藍色の大海原。だがそこに、巨大な網が入らない所はない。この太平洋は広いのか、それとも狭いのか? 漁業の取材を続けるうちに、そこがよく分からなくなってきた。
ともあれ振り返れば魚を追って、随分遠くまで来たものだ。足摺周辺のメジカ(ソウダガツオ)引き縄漁から、三陸沖一千キロのカツオ一本釣り、そして太平洋〝対岸〟の米国まで。
出発点に回帰して、この旅を終えることとしよう。海を見下ろしながら、そう決めた。
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土佐清水市の清水漁港。メジカを積んだ漁船が次々と帰ってくる。そのメジカを宗田節に加工するための煙が、夕空にたなびく。
目の前の海で捕れた魚を、地元で加工する。そんな昔ながらの水産業の形態が一定規模で残る地域は、県内ではもう、ここ以外にない。今なお市内二十数軒もの節納屋(ふしなや)から白煙が立ち上る光景は、奇跡的とすら思える。
この愛すべき小さな産業はこのところ、世界規模のめまぐるしい変化に翻弄(ほんろう)された。
カツオをめぐっては、缶詰用を主体とする国際的な需要が増え、価格が急騰。一昨年七月には最大のかつお節産地・鹿児島で、加工業者が窮状を訴えるため、一週間にわたり一斉に操業を停止した。
そんな彼らが昨夏、カツオの〝代替品〟として着目したのが、安価なメジカ。土佐清水から鹿児島へ、大量のメジカが流出して節に加工された。
これを受け、土佐清水ではメジカの浜値が上昇。燃料高にあえぐ漁師たちは、一息つくことができた。一方で原魚を買い負けた地元の節納屋は、操業日数の大幅削減を余儀なくされた。
そして秋には世界同時不況。漁業経営を圧迫していた燃料高は一段落した。しかし外食産業の落ち込みで、高級品「土佐の宗田」の売れ行きが鈍ってしまう。
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日本周辺のメジカ資源に価値を見いだし本格的に利用する地域は、これまで土佐清水だけだった。今後、県外で継続的な需要が発生する可能性に、危機感を募らせる関係者もいる。
「カツオ資源を食いつぶした後は、乱獲の矛先がメジカに向かう。九州沖などで巻き網船が狙うようになれば、メジカはたちまちいなくなる」
メジカ引き縄漁、宗田節加工業、カツオ一本釣り。そのいずれもが、実にもろい海の資源の上に、辛うじて成り立っているのだ。
だが、前途に光明があると信じよう。われわれ一人一人が「力」を持っているのだから。
七十数万県民の一部が消費行動を変えるだけでも、地域の水産業には大きな影響を与える。資源を守る機運が全国的に高まり政策転換を促せば、日本漁業全体の活路も開けるはずだ。
もっとも、残された時間はほとんどない。
子や孫の世代もわれわれと同様に新鮮なカツオを味わい、節を使っただしで本物の味覚を覚える。そのために今、守らねばならぬ地域の「遺産」がある。
節香る町、黒潮の狩人たち、そして魚よ、いつまでも――。
=シリーズおわり