2016.02.19 10:45

緊急事態条項に異論 自民改憲案に被災地は慎重

 安倍晋三首相が夏の参院選で国民に問うとしている憲法改正。中でも、非常事態時に首相の権限を強め、人権を制約する「緊急事態条項」創設の是非が焦点に浮上してきた。東日本大震災などの大災害を念頭に置いているとみられるが、当の東北の被災地首長らからは「不要」との声が上がっている。

 緊急事態条項は、大規模な自然災害や武力攻撃があった際、首相の権限強化や国民の権利制限などを定める内容だ。自民党要人らも、東日本大震災の対応が十分できなかったのは、現憲法の欠陥だとの考えを示している。

 これに対し、被災地東北の首長らは異論を唱えている。

 宮城県気仙沼市の菅原茂市長は2015年5月の記者会見で「(救助や復興などの活動は)私権を制限した方がいいと思うほど大変だったが、何とかやり遂げた。(改憲してまでの)制限は必要ないのではないか」と述べた。

 仙台市の奥山恵美子市長も「憲法改正が必要だと考えたことはない」「予算や権限を心配することなく、救助活動など必要な活動に移れることが大事」と語っている。

 東北だけでなく、新潟県や兵庫県など大きな地震を経験した他地域の弁護士会も「緊急事態条項は不要」との見解を表明している。

 自民党の改憲草案によると、「緊急事態」を宣言する権限は首相にある。宣言下では内閣が、国会審議を経ずに法律と同等の効力を持つ「政令」を出し、「何人も…国その他公の機関の指示に従わなければならない」。

 かつて世界で最も民主的とされたワイマール憲法下で、ナチス・ドイツはその緊急事態条項に当たる憲法規定を利用し、国会の機能を停止させて独裁への道を切り開いた。

 三権分立を停止してまで、首相と内閣に絶大な権限を与える緊急事態条項。その必要性は―。


緊急事態条項は必要?

 安倍晋三首相は、この夏の参院選で憲法改正の是非を国民に問う考えを示している。その大きな焦点が「緊急事態条項」。自民党の憲法改正草案にも明記されている。武力攻撃や大災害などに対応するため、とされるこの条項は本当に必要なのか。駒沢大学の西修名誉教授(75)と、東日本大震災時に被災地で活動した小口幸人弁護士(37)=沖縄弁護士会所属=に聞いた。

「法の根拠を憲法で」 駒沢大学・西修名誉教授
▲ 「最高法規の憲法で国家緊急事態を位置付ける必要がある」と話す西修名誉教授(横浜市栄区)

 ―有事法制などの根拠となる国家緊急事態条項を憲法で定めるべきだ、と。そう主張されていますね。

 「憲法で国家緊急権の根拠となる原則を定め、基本法、個別法の三重構造とするのがあるべき姿です。法律であらゆることを想定するのは不可能。必ず隙間があり、その都度、国会を召集して立法するのは非現実的です。憲法に明確な規定がないと、違憲審査の対象になります。(2015年9月成立の)安全保障関連法は、現在、憲法違反で訴えられようとしています」

 ―高知県などでは防災への関心も高い。しかし、災害対策基本法など既存の基本法で対応できませんか。

 「国会そのものが破壊され、開けなくなったら、どうするか。大規模なサイバー攻撃で政府中枢がまひしたら? そんな『最悪』に対応するのです」

 ―憲法54条は衆院の解散中であっても、参院の緊急集会で立法などの対応ができる、と定めています。

 「(衆参ダブル選挙などで)参院が選挙中のこともあり得る。そうなると、参院議員は半分。その状態で緊急集会を開くことは想定されていません。国民の生命・財産を守るのが国家の最大の任務ですから、憲法も当然、任務を果たさなければならない。憲法の真価は、まさに有事において発揮されるか否かで決まるんです」

 ―公共の福祉のためには、現憲法下でも基本的人権などの制約を受けます。それでの対応は無理だ、と?

 「公共の福祉の範囲はできるだけ限定的に解釈すべきだ、と考える学者は多いんです。人権が必要以上に制約される恐れがあるからです。でも、国家権力を制約し、公共の福祉を限定的に解釈すべきだと主張する一方で、緊急事態の場合には公共の福祉を広く適用すべきだという論点は矛盾しています。実際、1990年以降に新しく制定された103カ国の憲法全てで、国家緊急事態対処条項が設定されています」

 ―その103カ国を調べてみたら、旧ソ連だった国など国内外の情勢が安定していない国も多いのですが。

 「2000年に施行されたスイスやフィンランドの憲法にも緊急事態条項が導入されています。緊急事態条項を日本の憲法に入れたら、『憲法秩序が破壊されてしまう』という議論がありますが、憲法秩序を維持するためにこそ、これが必要だと。それが世界の常識と言えます」

 ―東日本大震災後、災害時の備えとして仙台市長は「震災で法改正は必要と感じたが、改憲が必要と考えたことはない」と話しています。

 「被災地の首長は、その管轄権の範囲内で対処しますが、(この問題は)国家的規模で考える必要がある。東日本大震災では物流の混乱など影響は広い範囲に及びました。南海トラフ地震が発生すれば、多くの地方自治体に関わる。憲法上の根拠に基づき、中央と地方が連携を密にし、切れ目のない法体制を構築すべきでしょう」

 ―2015年11月のパリ同時多発テロでフランスは法律に基づいて緊急状態を宣言し、令状無しで家宅捜索を3千カ所近く行いました。強引だという批判がフランス国内でも出ています。

 「フランスのこの法律は(憲法裁判所に当たる)憲法院で合憲という判断が示されています」

 ―法律に基づいた行為でも(過度な家宅捜査などが)違憲となる可能性は。

 「その可能性はあるでしょう。オランド大統領はテロ対策のため非常事態宣言の発動などについて、憲法改正の必要性に言及していますし」

 ―権力は往々にして暴走します。日本でその懸念はないですか。

 「そのために(緊急事態宣言には)国会の承認が必要です。自民党の憲法草案でもそうなっている。国会で不承認の議決があれば、緊急事態宣言を速やかに解除しなければならない、と。いざという場合は事後承認で良いと草案には書かれていますが、100日を超えて継続する場合は、100日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない、という内容になっています」

 ―他国と比べ、100日は長くないですか。

 「アメリカの戦争権限法では、60日以内に連邦議会の承認がなければ、大統領は軍を撤退させなければなりません。その方式も参考になるでしょう」

 ―詰まるところ、緊急事態への備えは、法律では無理だということでしょうか。

 「要は、国家緊急事態は憲法マターか、法律マターかの問題であって、私は憲法マターと思う。ドイツはかつて、ワイマール憲法の(大統領緊急令を定めた)48条がうまくヒトラーに利用されました。現在のドイツ憲法は、連邦議会が国家緊急事態を確定します。ナチス独裁の体験を踏まえ、緊急事態の決定権を行政府に与えていません。このドイツ方式も(日本で)検討の対象にしてもいい」

 ―東日本大震災時には緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の公表も遅れました。国家緊急事態条項を根拠に、情報統制が進む懸念はないでしょうか。

 「そういう情報はできるだけオープンにすべきです。(原発事故時の情報公開は)当時の民主党政権の対応に問題があり、その反省を生かすべきです」

 西修(にし・おさむ)名誉教授。
 1940年、富山市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、早稲田大学大学院政治学研究科(憲法専修)博士課程修了。駒沢大学名誉教授。専攻は憲法、比較憲法学。


「被災地必要とせず」 大震災支援・小口幸人弁護士 
▲ 「衆参同時選挙があっても半数の参院がおり、緊急集会を開いて事態に対応できる」と話す小口幸人弁護士(東京都渋谷区)

 ―安倍首相が緊急事態条項の必要性に再三言及しています。その理由の一つとして挙がるのが、大災害への備え。東日本大震災の際に岩手県に住み、被災地で復旧に関わった立場から、この問題をどう考えますか。

 「実は、東日本大震災後、災害対策基本法は2回も改正されています。政府は、災害のための法改正は済んだという認識のはずなんですね」

 ―震災時の救助活動などは、現行の憲法や法律で対応できたでしょうか。憲法の不備は実際にあったのでしょうか。

 「こんな相談が自治体からありました。ある住民が家の前に立ちはだかって自衛隊に対し、『捜索に入るな』と言っている、と。災害対策基本法には、除去や令状無しで立ち入りできるとの規定があるんですね。そう助言しました。建物内に生存者がいたり、遺体があれば腐って伝染病になったりする。捜索による立ち入りで得られる利益も大きいから、そういう法律になっているんです」

 「今の憲法は基本的人権を保障していますが、それは無制限ではありません。公共の福祉が認められる場合には、合理的な範囲で制約されるので、大災害時などの対応も現憲法で対応できます」

 ―大震災の被災地では、一時的に物資が足りなくなったこともあります。憲法に緊急事態条項があれば対応できたのでしょうか。

 「それは備蓄の問題であって、憲法の話ではないですね。ガソリンなら、備蓄の量や場所を配置し直す。その上で石油会社各社と協定を結んでおく。原発事故で車が入れないなら、避難計画をちゃんと作ればいい」

 「自民党の改憲草案で一番怖いのは(緊急事態条項で政府による報道統制が可能になるので)例えば、災害時に原発事故がなかったことにされかねない、ことです。数週間、事故も隠せるでしょう。事故隠しは『混乱を防ぐためだった』と言われてしまう。その情報が『特定秘密だ』と言われたら、二度と表に出てきませんね」

 ―大震災後の被災地では、憲法の緊急事態条項に慎重な首長が何人かいます。

 「被災地でそれを必要と思っている首長はいないでしょうね。首長だけでなく、大災害を経験した兵庫県や新潟県、宮城県など17の弁護士会・連合会も国家緊急権の創設には反対しています」

 ―国会議員の任期は憲法で規定され、選挙と大災害が重なることもあり得ます。だからこの条項が必要だと。その点は?

 「戦後、衆議院が任期満了を迎えたのは1度だけです。それに対して、約70年間で選挙ができないような大災害は数回程度。任期満了と大震災が一緒に起こる確率は相当低い。まずそれが前提です」

 「議論すべきは、仮に災害が起きても実施できる選挙制度なんですね。東日本大震災の年は統一地方選の年でした。被災地では選挙を延期し、選挙人名簿を調整し直したり、避難所からバスで被災地に戻って投票したりした。これが、避難先でも投票できる仕組みならどうでしょう? 憲法ではなく、公職選挙法を変えて対応できるんです」

 ―有事法制の根拠とするため、憲法に緊急事態条項を作れ、という意見もあります。

 「法律を解釈する時は法律の趣旨、目的、立法者の意思を考える必要があります。昭和50(1975)年の国会で、当時の吉国一郎内閣法制局長官は『非常時立法と申すものにつきまして、一定の範囲内においてこれを制定することができることは申すまでもない』などと話している。つまり憲法を変えなくても非常時対応の法律は作れるし、実際に作られてきました」

 ―国会が攻撃に遭ったら?

 「議事堂が国会を開ける場所でない。開会要件は定足数などであって、場所は規定されていません」

 ―ドイツでは国家緊急権の発動権を議会が持っている。政府は発動できません。

 「ナチスの(独裁の)突破口になったのがワイマール憲法の緊急事態条項でした。ドイツはその教訓を生かし、絶対に暴走しないように(国家緊急権発動の)歯止めを多く設けた。為政者による乱用の恐れは山ほどありますから。日本では、民主主義の根幹に反するものだからそれを入れないという考えで今の憲法はできました」

 「権力は暴走する。それは戦前の日本でも起きたわけです。そういう歴史を踏まえずにできているのが自民党の草案です。先人の教訓が詰まったものを、教訓を忘れた者がつぶそうとしています」

 ―現憲法でテロ防止に対応できますか。

 「テロは緊急事態条項の話ではない。令状無しの逮捕や家宅捜索、通信傍受などをどこまで広げるか、という刑事訴訟法の議論をもっとするべきです。民主主義は時に感情的に支配され、少数者の人権を無視することもある。だから、現憲法に過去の過ちを繰り返さないシステムが入り込んでいるんです」

 小口幸人(おぐち・ゆきひと)弁護士
 1978年、東京都生まれ。中央大学卒。岩手県宮古市の法律事務所所長、東京での弁護士活動などを経て2016年春から沖縄県で開業。



自民党改憲草案(関連部分)

 自民党改憲草案
 第9章 緊急事態
 (緊急事態の宣言)
 第98条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
 2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
 3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
 4 (略)
 (緊急事態の宣言の効果)
 第99条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
 2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
 3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、(略)基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
 4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。
 (ゴシック・横線は高知新聞で付した)

内閣法制局長官の答弁

 1975年の国会、吉国一郎内閣法制局長官(当時)の答弁〈一部抜粋〉

 「現行憲法の下において非常時立法ができないかというお尋ねですが、大規模災害が起こった、外国から侵略を受けた、大規模な撹乱(かくらん)が起こった、経済上の重要な混乱が起こったというような、非常事態に対応致しますための法制として考えますと、あくまで憲法に規定しております公共の福祉を確保する必要上の合理的な範囲内におきまして、国民の権利を制限したり、特定の義務を課したり、場合によりましては個々の臨機の措置を、具体的な条件の下に法律から授権を致しまして、あるいは政令によりあるいは省令によって行政府の処断に委ねるというようなことは現行憲法の下においても考えられる」
 「災害対策基本法で、非常災害が起こりました場合に、財政上、金融上の相当思い切った措置を講じ得るようになっておりますが、これもその度に政令をもって具体的内容を規定致すことになっております」
 「このように、現憲法下におきましても特定の条件の下においてはこのような立法ができることは明らかで、非常時立法につきまして、一定の範囲内において制定することができることは申すまでもない」
 「もちろん、旧憲法(日本帝国憲法)において認められておりました戒厳の制度でございますとか、非常大権の制度というものが取れないことは当然のことでございます」
語 録

 ■安倍晋三首相
 「どの条項を改正するかとの新たな現実的な段階に移ってきた」(1月21日、参院決算委員会)
 「自民党の改憲草案は9条2項を改正して自衛権を明記し、新たに自衛のための組織設置を規定するなど、将来あるべき憲法の姿を示している。国会は改憲を発議するだけで、決めるのは国民だ。国会が国民に決めてもらうことすらしないのは責任の放棄ではないのか」(2月3日、衆院予算委員会)

 ■自民党の古屋圭司憲法改正推進本部長代理(2015年9月30日、都内の会合)
 「本音は9条(改正)だが、リスクも考えないといけない。緊急性が高く、国民の支持も得やすいのは緊急事態条項だ。本音を言わずにスタートしたい。(お試し改憲ではないかと野党などは批判するが)お試し改憲でいけないのか。問題ない」

 ■福島瑞穂社民党副党首(1月19日、参院予算委員会)
 「(緊急事態の宣言下で)内閣が法律と同じ効力の政令を出すなら、『国会の死』ではないか。ナチス・ドイツの『全権委任法』と同じだ。許すわけにはいかない」

 ■長谷部恭男早稲田大教授=憲法学(2月5日、「立憲デモクラシーの会」の集会)
 「(緊急事態条項の新設は)必要ない。日本では災害対策基本法や有事法制で必要なものは既にできている。『外敵が攻めてきた時に総選挙ができない』というめったに起きないことを想定するのは、重箱の隅をつつくような議論だ」

 ■石川健治東京大教授=憲法学(2月5日、「立憲デモクラシーの会」の集会)
 「憲法に緊急事態条項を設けるのは、例外をノーマル化することを意味する。(政府が)普通にできてしまうことの範囲を広げる危険性を認識するべきだ」




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