2016.01.27 14:36

思考も組織も「株式会社化」 神戸女学院大名誉教授・内田樹さんに聞く

進む政治文化の退廃

 国内外で数知れぬ犠牲を強いたアジア太平洋戦争の敗戦後、日本国憲法は誕生した。その公布から70年。安倍晋三首相は「改憲を目指す」と明言し、夏の参院選に向けてひた走る。戦後の日本をかたち作ってきた憲法はいま、どんな位置にあるのか。そもそも、私たちはどこからどこへ向かっているのか。それを考えるため、まず、神戸女学院大学名誉教授で思想家の内田樹(たつる)さん(65)を訪ねた。

 内田さんは神戸市東灘区で、武道と哲学の塾「凱風(がいふう)館」を主宰する。

 その2階。書物に囲まれた書斎で、内田さんは「世界はいま、地殻変動的な移行期にある」と口を開いた。

 「国民国家という統治システムの有効期限が切れかかっています。主因はグローバル資本主義の進行。資本・商品・情報・人間が国境を越えて高速で行き来するせいで、国民国家の枠組みは解体しつつあります」

 「この米国主導のグローバル化は思いがけぬ壁に突き当たりました。イスラム共同体です。この共同体は宗教・言語・食文化・服装・生活規範を共有し、モロッコからインドネシアまで、16億人を擁する共同体です」

 話はよどみなく、途切れない。

 「米国が世界標準だと信じる価値観を、イスラム共同体は受け入れませんでした。グローバル化は国民国家を解体するけれど、一方でローカルな文明圏の間に深い溝があることも明らかにしました。国民国家もグローバル化も不可能になったのが現在です」

 「世界はこの後、いくつかのローカルな超国家共同体、すなわち『帝国』的な政治文化圏に分割されてゆくと考えています」

 【写真】思想家の内田樹さん(神戸市東灘区)

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 日本社会も変容している。産業構造の変化によって働く場の大半が「会社」になり、人々の思考も「株式会社化」したと言う。

 「平均的日本人は生まれてから一度も民主主義的な合意形成の訓練を受けていません。家庭も学校も部活もバイトも就職先も、どこも民主的に運営されていない。すべてトップダウン組織。勉強なら偏差値、スポーツならランキング、就活なら年収というかたちで、自分の達成は上位の格付け機関によって数値的に示されます。経営の適否はマーケットが判断する、という株式会社と同じです」

 政治も株式会社化していると強調する。

 「今は選挙がマーケットを代行してます。どんなにジャンク(役立たず)な政策でも、市場が選好したら良いものと判定されたことになる。選挙は結果がすべて。だから、政策は事前検証も事後総括も、失敗の責任追及も必要なくなる。これでは政治文化は退廃します。選挙では、有権者の耳目を集める候補ばかりが公認される。末期症状です」

 「政治文化の退廃が続けば、いずれ政官財のどの世界でも、まともな大人が要路にいなくなります。システムが回らなくなれば、あり得ないようなミスや手抜きが頻発する。イノベーションも生まれません。全方位的に日本のシステムは瓦解(がかい)すると思います」

「改憲」 立ち止まって考えよ 「安倍1強」支える国民の破壊願望

 2012年の第2次安倍政権誕生後、日本社会のきしみは、良くも悪くも「安倍1強政治」との関わりで進んでいる。「憲法解釈の変更」によって成立した安保法はその象徴だ。そして今、「改憲」は具体的になってきた。この状況をどう考えるか。思想家で神戸女学院大学名誉教授の内田樹さん(65)は「安倍政権は国民の破壊願望を満たしている」と言う。

 ○―「戦後レジームからの脱却」を掲げ生まれた今の安倍政権は、小泉政権以来の長期政権になりました。理由はどこにある、と?

 「国民に広がる無意識の破壊欲望、『ガラガラポン願望』に応えているからでしょう。経済力や国際社会での威信が低下し、いら立ち、閉塞(へいそく)感がある。全部ぶっ壊せ、と。30~40代は特にそれが強い」
 「彼らの特徴は株式会社マインド(思考)です。効率第一で民主主義や対話が嫌い。トップダウンの組織運営しか知らないから、それに準拠して考えていく。民間企業文化に親しんだ人にとっては、安倍首相の強権的手法も『うちの社長』の専断と変わりません」

■自民党「廃憲」草案

 ○― 安倍政権は憲法解釈の変更という「禁じ手」で集団的自衛権の行使を容認し、立憲主義に反すると強く批判されました。

 「イラク戦争後、米国内には厭戦(えんせん)気分が広がっており、本音はもう紛争に関わりたくない。いずれ中近東や西アジアから手を引くでしょう。だからこそ日本に肩代わりを期待している。自国益のためなら、非民主的な強権国家であっても同盟国として支援するでしょう」

 ○― 安倍政権も米国の支援で長期になっていると?

 「日本人は『米国政府から支持される人が指導者であるべきだ』と無意識に思い込んでいます。だから、政治家も官僚も学者も、米国から評価の高い人たちが自動的に日本国内で高い格付けを得る仕組みになっている。この20年は特にそうです」

 ○― 安倍政権は「この夏の参院選は改憲勢力で3分の2の議席を」と言い、改憲を射程に入れています。

 「政権の浮揚力は米国の支持と株価です。株価が下がれば安倍政権は終わるから、後先を省みずに株式市場に(年金などの)カネを注ぎ込んでいる。でも、官製相場は長く持ちません。株価が(完全に)下がる前に改憲を済ませるつもりでしょう」
 「自民党の改憲草案は実質、『廃憲』草案です。草案の緊急事態条項は憲法を停止する手順についてですが、そこが一番詳しく、熱意がある。憲法と立法府の機能を停止させ、行政府の政令を法律に代える。その独裁の仕組みが、未来永劫(えいごう)維持できると書いてあります」

■「中立」の名で忖度

 ○―社会では多様な議論が必要ですが、憲法関連のイベントで自治体が後援申請を拒む例も目立ってきました。

 「2014年、私を呼んでくれた神戸市内の護憲派の集会は、神戸市と神戸市教育委員会に後援を拒否されました。『護憲』の主張は政治的中立性を欠くからという理由でした。公務員には憲法99条に定められた憲法の尊重と擁護義務があり、彼らはそう誓約して署名捺印した上で採用されたはずです」
 「憲法尊重義務よりも時の権力者の顔色をうかがうことを公務員が優先するようになったら、立憲政治は終わりです。これから日本中の自治体で同じことが起きるでしょう」

 ○―そもそも政治的中立とは何でしょうか。

 「それ自体が中立の意見なんて存在しません。多様な言論が共生する中で、集団の英知が暴論を排し、適切な意見を選び取る。長い時間をかけて。そのダイナミックなプロセスがもたらす効果を『中立』と呼ぶのです。『これが中立だ、これは中立ではない』というような判定を下せる静止的な権威など、どこにも存在しません」
 「検閲とは、実際には全て自己検閲なんです。政府が直々に『この記事は削除しろ』とか『この人物に発言させるな』とか、逐一指示できません。政府にそんな資源はない。だから、メディアに自己検閲させる。メディア自身が権力の意向を忖度(そんたく)し、『政府が嫌いそうなもの』を排除する。そんな仕事を手際よくできる人間がメディアの中で出世できる。そういう仕組みが作られつつあります。もう日本中が忖度社会になってます」

■浮足立たずに

 ○―この夏には参院選もあります。ポイントは。

 「減速です。小泉内閣以来、劇的なスピードで社会を変化させてきたのに、何も良いことはありませんでした。スピード感とか、突破力とか、決められる政治とか言われましたが、政策決定の速度と採択された政策の適否には、何の相関もありません。難しい問題であればあるだけ、解が出るまでに時間がかかる。当たり前です。『即断できる政治が良い政治』というのは端的に嘘です」
 「TPP(環太平洋連携協定)も『バスに乗り遅れるな』と大騒ぎして国内の議論を封殺しましたが、当のバスはさっぱり発車する様子がない。新国立競技場も『時間がない』からと議論もせずに決め、結果的にベタ遅れになった。重要政策について『時間がない』と浮足立つのは下の下策です」

 ○― 立ち止まれ、と?

 「(安保法に反対する若者グループ)SEALDs(シールズ)の運動を見ていると、安倍政権の『チェンジ』に対して、彼らの主張は『ステイ(立ち止まれ)』なんです。国会内で『国のかたちを根本的に変える』ために議員たちが殴り合いを演じているとき、国会外では若者たちが『憲法を護れ、立憲政治を守れ』『国のかたちをそんなに急に変えないで』と請願していた。若者が老人に向かって『落ち着け』と説いていました。若い人たちの方が20年、30年という長いスパンで考えている」
 「大切なのは、集団的な英知の判定力を信じることです。『浮足立つな、落ち着け!』。言いたいのはそれだけです」

 自民党の改憲草案 2012年4月、自主憲法制定を党是に掲げる自民党は「日本国憲法改正草案」を発表した。天皇を「元首」、自衛隊を「国防軍」とし、国旗・国家の尊重を国民に義務付けるなどの内容。緊急事態条項も新設した。とりまとめ役は、高知県選出の衆院議員、中谷元氏。自民党憲法改正推進本部の起草委員会委員長を務めた。
 これに先立つ2005年11月、結党50年を機に自民党は「新憲法草案」を発表している。当時、自民党の改憲案起草委員会座長だった中谷氏は、陸上自衛隊の幹部隊員に「改憲の際の考慮事項」などについて資料作成を依頼。幹部隊員は、軍隊設置や集団的自衛権の行使を可能とする内容の改憲案を提出し、中谷氏はそれを自分の案として自民党の憲法調査会で配布した経緯もある。文民統制の逸脱などと批判されたが、幹部隊員は口頭注意のみだった。

  *  *  

 日本は大きな曲がり角―。使い古されたこの言葉が、今ほど実感を伴った時代があっただろうか。2016年のいま、足もとで何が起き、その先に何があるのか。憲法を軸に社会を考えるシリーズ「その声は誰の声?」を始める。

現行日本国憲法前文 自民党改憲草案前文
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。
自民党改憲草案 緊急事態条項

 第九章 緊急事態

 (緊急事態の宣言)
 第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
 2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又(また)は事後に国会の承認を得なければならない。
 3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
 4 (略)

 (緊急事態の宣言の効果)
 第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
 2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
 3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、(略)基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
 4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

現行憲法99条
 第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。



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