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それにしてもこっけいだ。あれほど嫌々踊りだしたのに、祭りの日々を振り返ると「楽しかった」が率直な感想なのだ。今では「見ると出るとでは大違い。あんたもいっぺん踊りや」と言ってみたりもする。
では、踊ってみて何が分かったのか。具体的に説明しろと言われると、実は困ってしまう。ただ、何となく実感できたことなら無数にある。人々を引き付ける魅力が、よさこいには詰まっている。
例えば鳴子の魅力だ。この打楽器を集団で鳴らすのが、あれほど気持ちがいいとは思わなかった。踊り子同志が鳴らし合うと、会話になり、激励になり、別のチームともすぐ溶け合ってしまう。打ちそろう音もザッザッ!と雨の音がしたり、シャンシャンとセミの声に聞こえたり。
鳴子は本来、田畑につり下げて害鳥よけに使う道具だが、作曲家の故・武政英策さんが四十五年前、「阿波踊りに対抗するには素手では駄目だ」と取り入れて華麗な変身を遂げた。全国に広がるよさこいはバリエーションもさまざまだが、どこも鳴子だけはしっかりと握っている。
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道で踊る快感も、思っていた以上だった。少々下手でも、飾らず踊れる痛快さが込み上げてくる。裸で銭湯につかる無防備さ、カラオケの陶酔感、えーとそれから…。要は、それらを足し合わせた以上の、底抜けの心地良さだった。
出会い、集まる楽しさ。これも意外な発見だった。よさこいは、集まることから始まって、熱狂的な興奮に向かって、全員で足並みをそろえていく。この連帯感は、木の枝が伸びるように友達を増やしていく。県外出身でひねくれ者の私でさえ、ざっと百人の知り合いができてしまった。
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大きな勘違いをしていたことも一つある。実は私はよさこいを、派手な「ダンスショー」だと思っていた。ショーだから盆踊りのように地味ではないし、神事のような息苦しい秩序もない。だから若者を引きつけるのだと。
でも違った。沿道のお年寄りが声をかけてくれ、うちわであおいでくれ、商店街の人たちが飲み物をサービスしてくれる。チーム同志が酒を回し合い、踊りのセッションを楽しむ。私が入れてもらった「ユニティビート」の踊り子たちは、「踊ろや、遊ぼや」とはしゃいだものだ。
長い長い退屈な一年があって、その先にさん然と輝くよさこいがある。胸躍らせる「祭り」のにおいが、街角からぷんぷん立ち上っていた。
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さらさらした秋風が吹くようになったころ、北海道から高知に踊りに来ていたYOSAKOIソーランの踊り子二人から手紙が来た。「楽しかった」と文字がよさこいを踊っている。
その二人、「帯屋町筋」で踊った武部八恵さん(26)、「四国開発グループ」に参加した松井千恵さん(24)に電話をかけてみた。
「北海道も本当にすばらしいけど、高知はステージショーじゃなくって祭りなのよ。そこがいいのよ」(武部さん)。「どのチームも踊りや衣装が凝ってて、すっごく自由。観客も踊り子も楽しめる祭りって感じ」(松井さん)。
電話の向こうの声は生き生きして、まだよさこいを踊っていた。
よさこいは、真夏の南国土佐にこつ然と数日間だけ現れる自由の祭りだ。若者たちが集い、出会い、鳴子を振り合い、自由に乱舞するカーニバル。高知の街は、それを許すおおらかさに満ちている。
言い換えれば、一年に一回、街に元気を吹き込む「装置」ではないだろうか。この不思議な装置は、だれが仕掛けたわけでもなく、大勢の人々が、いつの間にか街に取り付けてしまったものだ。そこがすごい。
――と、言葉にするのももどかしい。踊って書いて、力も尽きた。
えーい、あんたも踊りや!踊らにゃ、分からん。
(社会部・石井研)
=第3部おわり=
【写真】「よさこい嫌い」のはずが、結局はまってしまった私。うれしそうに踊っている(追手筋本部競演場)
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