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私、県外生まれの県外育ち。集団行動が大嫌いな三十一歳の社会部記者。汗をかいて動き回るのも大の苦手。よさこい祭りも決して好きではない。「この暑いのに、ようやるわ」。通りすがりに遠巻きで、冷めてじとーっと眺めていたクチだ。
そこへ突然、「お前、鳴子を持って踊れ。最も向いてないお前がえい。よさこいを内側から見てこい」の社命だ。炎天下で踊ると、五十キロ少しの体が干からびてしまいそうでつらいが、命令には逆らえないのである。「よっし、しゃあない」。泣きたい思いをぐっとこらえ、私は「'98よさこい」の踊り子の一人になった。
さて、どのチームで踊るか。北海道のY0SAK0Iソーランに大きな影響を与えたという「セントラルグループ」はどうだ。あの激しいダンス、とても踊れまい。日本舞踊がベースの「帯屋町筋」は? ここも振り付けが複雑だ。踊れないと恥ずかしい。やめておこう。
悩んでいると、隣席の先輩記者が「『ユニティビート』というチームがある。ここはどうや」と言う。
「企業とか商店街とかいろんなチームがあるが、ここはさまざまな人間が集まる、いわゆるクラブチームらしい。スタッフにはパブ経営者もおって、フィリピン出身の女性も踊るらしいが、そうなるとワシも一緒に踊りたいので、よっし。ここに決まりや!」
こうして、あやしげな横文字チームの踊り子になった。ちなみにこの先輩は練習に一度来ただけで結局踊らず、通り一遍の寂しい夏を過ごした。
◇
薄暗い店だった。太陽がさんさんと輝く下で踊るよさこいにはあまりにも不似合いな、どんよりとした空気。「ユニティビート」を率いる健ちゃん=吉岡健児さん(37)=と初めて会ったのは七月半ば。場所は、彼が経営する高知市内の小さなスナックだった。
取材を兼ねてチームに参加させてほしい旨を申し入れた。練習日程や参加費などを詰めた後、話題はよさこいの魅力に及んだ。
「みんなカーッと熱うなって踊った後の街の、静かなこと! あれえ、ここで何かあったがぁ?みたいな。あれだけ大勢の人が興奮する祭りが、二、三日だけ突然現れて、すーっと消えていく。あの感じ、好きやなあ、おれ」
関西弁交じりの健ちゃんは高岡郡窪川町出身。大阪で会社勤めの後、帰高して自動ドアメーカーの社員になった。が、「人に使われるのが嫌」で、十三年前からスナックをやっている。長身のつり目で、見るからに遊び人風だが、よさこいを語り始めると、人懐っこく口ひげが笑う。
「祭りが終わってからね、夜明けの街に一人、二人、踊り子が歩いとるわけよ。飲み過ぎましたあ、すんません…みたいな顔してね。街にあふれ返っちょった踊り子が、翌朝にはもう、恥ずかしゅうて街も歩かれへん。あの落差。好きやなあ」
ひとしきり「好きやなあ」を連発した健ちゃんは、「まあ踊ってみて。見えんもんが必ず見えてくるから」とも言った。
その言葉に、ほんまかなあ、踊ったら好きになるんかなあ、そんなもんかなあと半ば首をかしげながら、私の「よさこい初体験」が走り始めた。
◇
高知の城下に静寂が戻って二週間。百二十二チーム一万四千人が繰り出した「'98よさこい」。鳴子を手に踊り歩きながら私が垣間見た祭りの断面を、一つ一つ振り返っていこう。
(社会部・石井研)
【写真】祭りがクライマックスに近づき、のぼり詰めていく踊り子。どのチームも陶酔の表情だ(11日夜、追手筋本部競演場)
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