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「最初は、そうやねえ、みすぼらしい、異様な集団やったねえ。踊りもうまくないし地方車もぼろ。市民は、もの好きなグループが何かしゆうというように横目で見よったですよ」
平成四年六月に札幌市で産声を上げたYOSAKOIソーラン。第一回の祭りを振り返るのは、当時県北海道事務所長だった山崎栄三・県立美術館副館長だ。この祭りを題材に、北川泰斗のペンネームで「街は舞台だ」の著書がある山崎さんは、祭りの創設を側面支援した一人。その目に、十チーム千人の旗揚げは細々と映ったという。
その中で異彩を放ったのは、ぜひにと請われて高知から“模範演技”にやってきたセントラルグループである。洗練された本場の踊りはひときわ目立ち、たちまち人垣ができた。
「これがよさこいか」「へえー」。初日から二日目へ、市民の反応はしり上がりだった。チームが移動すると、見物の人垣が一緒になって動いた。踊りに手拍子が起こり、つられて踊りだす人もいた。
「何より踊った本人たちが感動して涙を流したんです。これはいけると思った」と山崎さん。実験的な試みだったが、創設にかかわったみんなが確かな手ごたえを感じた。
その翌年の第二回の祭りは、セントラルに刺激を受けた「セントラルもどき」のチームが会場にずらりと並んだ。衣装もそっくりなら、歌舞伎風の顔のペインティングも同じ。ご丁寧にもパチンコの銀玉を模した独特のまといまでまねし、多くのチームがささげ持っていた。模倣に勘違いも織り交ぜながら、祭りは着実に根を下ろしていく。
「うかうかすると高知は負けるぞ」。三回、四回と進むにつれ、YOSAKOIソーランに出向いた本県関係者の間で、そんな声が大きくなってきた。倍々ゲームの急成長で、五回には初めて参加者が一万人に到達。そして昨年の第六回、ついに逆転現象が起きる。
よさこいの百二十六チーム一万四千人に対し、YOSAKOIソーランは前年の倍近い百八十三チーム一万八千人。初めて規模が本家を上回ったのだ。さらにことしは、よさこいが昨年並みなのに対し、YOSAKOIソーランは二百八十チーム二万九千人。“親子”格差は拡大の一途である。
なぜこれほど急成長を遂げたのか。一つには地域性がある。歴史の浅い北海道は、伝統に縛られない分、新しい血を受け入れるについて妙なこだわりはない。むしろ積極的に新しいものを取り込む進取の気質に富んでいる。
加えて、この地にはそれまで市民参加型の祭りはなかった。地元のソーラン節との融合も新鮮だったし、学生が損得抜きでやっているのも道産子に好感を持って受け入れられた。よさこいはこの地にぴたりと「はまった」のである。
昨年、主催者がはじいたYOSAKOIソーランの経済効果は、実に百三十億円に上った。よさこいが七十一億円(八年の試算)だから、これも二倍近い。
「観光面でいうと、夏の繁忙期に入る少し前。非常にいい時期にいい祭りができた」(札幌市観光部)
「経済界にも賛同は多いんです。こういう時期ですから、暗いムードをあのリズムで元気づけてほしい」(札幌商工会議所)
北海道はことし、北海道拓殖銀行の崩壊など暗いニュースが続いた。街を沈滞ムードが覆う中で、YOSAKOIソーランはますます存在感を増しているように感じた。
(社会部取材班)
【写真】5年の第2回YOSAKOIソーランで踊るセントラルグループ。札幌に大きな影響を与えた(札幌市)
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