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中学生たちが泣いていた。充足感があふれた顔の上を、涙がぼろぼろ流れていた。そろいの紫色の法被姿。よさこいを踊ったあとだった。運動場を埋めた生徒たちは、だれかれとなく踊りの指導に当たった先生を胴上げした。二度三度、二人の先生が宙を舞う。そして、中学生たちは泣き始めた。
昨年十月、大阪府貝塚市の市立第五中学校の体育祭でのことだ。
中学生が踊ったよさこいは、父母たち大人にも強烈なインパクトを与えた。「五中の踊り、すごかったなあ」が地域のあいさつになった。この踊りをきっかけに街自体が変化する。
「もっと踊りたい」と思い始めた生徒たちは、一つのプロジェクトを発足させた。名付けて「YOSAKOIソーリャ・プロジェクト」。「だんじり祭り」で有名な大阪南部の泉州地域によさこいを広げようという大胆不敵な取り組みだ。
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五中を訪ねたのは五月下旬のひどい雨の日。途中、海辺を回ってくれたタクシーの運転手は、「晴れとったらこっから関西空港見えるんやけどなあ」と、少しすまなそうに言った。
五中は、十年前に貝塚市の西側の臨海部を埋め立ててできた新しい土地が校区。住民の多くは関空関連の仕事でやってきた人たちだ。学校に着くと、ちょうど山口均教諭が玄関で傘をたたんでいる所だった。
「あ、どうも。そろそろみんな来るころですよ」
「みんな」とは、生徒や地域住民でつくる踊り子チーム「夢舞台」のメンバーのこと。この日は札幌の「YOSAKOIソーラン祭り」への初参加に向け、定例の夜間練習が体育館で行われるのである。
プロジェクトのきっかけは、冒頭の体育祭。同校の体育祭では毎年、男子が「えっさっさ」という男踊り、女子は創作ダンスと決まっていたが、昨年、体育担当の山本貞治教諭の提案で「YOSAKOIソーラン」に変わった。
山口教諭は、高知市の姉妹都市でもある北海道北見市の出身。盆に帰省した際に、北見版YOSAKOIソーランを見て感動。ビデオや資料集めで、体育祭での踊りづくりを支えた。
「YOSAKOIソーラン」を踊った―、ただそれだけなら、体育祭のプログラムが少し変わった、ということにすぎなかった。ところが、それで終わらなかった。生徒の一部が体育祭の後、地域の催しに参加したり老人ホームを回ったりと、踊りを続けたのだ。
「生徒ら、夏休みにも練習しとったし、二学期には早朝の自主練習始めよったんです。それまで、そんなんなかったんやけど。三年なんか足にまめつくった子もいてたぐらいで。面白いから頑張る。踊ると人が感動する。続けな、もったいなかったんですわ」
地域での踊りは昨秋から十数回を数えている。「夢舞台」はその時のチームが母体で、今は三年生の上甲剛義君が隊長だ。
書いておくなら、上甲君は、決して何かに熱中するタイプではなかった。母親の和子さん(41)が言う。
「私が言うのもなんやけど、あの子、器用なんで勉強もスポーツもそう真剣にならんでもそこそこできる。そやから、なんでもそこそこ。体育祭からですわ、あの子がこんな真剣になったの」
本人は「感動するからやってる」という。しかし、なんで、そんなに踊りに感動できるの?
「なんでって…。それは真剣にやっとるからやないですか。踊りの後は笑顔やけど練習も踊りの最中も真剣。人が真剣になるというのは、すごい格好えいことです。真剣にやるから自分も感動するし、見てる人も感動させられる。そういうもんや思いますけど」
そんな基本的なことを聞きないな―隊長は言外にそう言っていた。
(社会部取材班)
【写真】秋の体育祭の後も地域の催しでYOSAKOIソーラン調の踊りを披露する「五中」の生徒たち(貝塚市の貝塚中央商店街)
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