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男は、もう何杯目かになる焼酎(しょうちゅう)を前にしてぼそっと言った。
「最近、思うんだ。ただ鳴子持って踊るのが『よさこい』じゃねえって。何かオリジナルっていうかさ、創造するっていうかさあ。そういう行為自体がよさこいなんじゃねえかって」
首回りの大きな、頑丈な体の元ラガーマン。昨年十一月、静岡県沼津市で行われた「沼津ワールドダンスフェスタ」の運営部会長、原田治行さん(47)。いい言い方をする、と思った。
◇
東海道新幹線を三島で普通列車に乗り換えて、一つ目の沼津駅。着いたのは五月二十七日の午後。駅前の仲見世商店街のアーケードを入ってすぐの洋品店に原田さんはいた。やあ、という感じの笑顔が優しい。
ダンスフェスは、沼津市内の十の商店街が一つになって祭りをやろう、という企画だった。もとは地域振興のコンサルタント会社の立案。商店街組合の指名で原田さんが部会長を引き受けた時には、既にブラジルやインドネシアなど各国のダンスチームを招待するという骨格は決まっていた。
ただ、「ダンスを呼ぶだけではつまらない」とは思っていた。「どうせなら自分たちも何か踊らなきゃ意味ねえ」と。
何度目かの部会で、メンバーがそれぞれリサーチした全国の祭りを発表することになった。自分たちの踊りを決めるためだ。中の一人が「YOSAKOIソーランというのがある」と言った。その場は「はい、次…」という感じで流れたが、原田さんはその祭りのことが妙に耳に残った。
後日、北海道の振興会に連絡して資料を取り寄せる。一人の北大生が、高知のよさこいを札幌に移植する過程を描いた本が中にあった。熱く感じるものがあった。
夏。原田さんは計画していた家族旅行を取りやめ、本家の高知を訪ねた。盆といえば、商店街の住民が一家で過ごせる貴重な時期。家族の機嫌をえらく損ねたが、訪ねた高知で原田さんは即座によさこいパワーに圧倒された。
強烈なリズム、踊り。至福の時を迎えたかのような踊り子の表情…。「なんだ、この祭りは」。驚嘆し、「鳥肌が立った」という。「沼津でやりたい」。そう思った。
その思いは、その日の夜、決定的になった。
何のつてもなくやって来た高知。目星を付けていた関係者にはほとんど会えず、あてどなく街をさまよった。途中、暑さにのどが乾き、街頭でジュースを買った。その売り子が、たまたま東京土佐寮チームの世話役の弟だった。
その場は立ち話で別れたが、フェスのためにはどうしても高知とのつながりがほしかった。もう、ほかにあてはない。迷った末にその世話役の家に飛び込んだ。
踊りが終わった夜、打ち上げの宴会の真っ最中だった。たくさんの学生やOBがいた。食事をし、酒を飲み、たわいもなく騒ぐ。楽しい時間だった。そして、やがて交わされ始めた短いあいさつ。
「またな…」「おお。元気でな」
一人二人といなくなるが、みんないい顔をしていた。夏の数日、一緒に踊る。そのことで互いを確かめ合い、またそれぞれの日常に戻っていく。原田さんが見たのはそういう光景だ。
「祭りの原点ていうかさあ。おれ、感動しちまって…。沼津でやる。その時、胸に決めたんだ」
(社会部取材班)
【写真】鳴子踊りを沼津に取り入れた原田さん=右。笑顔と熱意で仲間を祭りに引き込んだ(静岡県沼津市の仲見世商店街)
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