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2003年8月19日(火)<朝刊>
明徳打線平安崩せず 8回逆転機逸す
明徳義塾、強豪平安に競り負けて「夢」消える―第10日は18日、2回戦4試合を行い、本県代表の明徳義塾は平安(京都)に1―2で敗れ、夏連覇の願いは絶たれた。
3日延びた一戦は、明徳が1回戦に続いて右横手湯浅、平安も2年左腕服部が先発。
明徳は一回、沖田のバント安打などの二死満塁から6番に打順を上げた田辺が先制左前打。しかし平安は五回一死三塁からスクイズで同点。
勝敗を分けたのは八回の攻防。平安は連打と送りバントの一死二、三塁から3番打者が中犠飛。その裏、明徳も沖田のヒットなどで同じく一死二、三塁に迫ったが、スクイズ失敗。九回も代打永尾のヒットなどの一死一、二塁もあと1本が出なかった。
【明徳義塾―平安】1回裏2死満塁、田辺が左前適時打を放つ。捕手原(甲子園)
平 安(京都)2−1明徳義塾
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | |
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| 平 安 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 |
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| 明徳義塾 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
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(8月18日午前8時29分〜)
【評】 攻守にそつのない両チームの息詰まる攻防は見応えがあった。1点をめぐる高いレベルのしのぎ合いは最後まで中身が濃かった。一回に先行した明徳は2点目が遠く、紙一重の差で競り負けた。
先発湯浅は緩急を十分に効かせて、八回途中まで散発5安打。八回の鶴川への継投時期も、うなずける。2失点でしのいだ投手陣は責められまい。
7イニングスで走者を出した打線だが、左腕服部を攻略しきれなかった。打者有利のカウントで甘い球を8安打したものの、服部は勝負どころの制球がさえた。内外角のぎりぎりをつかれて追い込まれれば、ボールになる変化球に手が出てしまう。
一回二死満塁で田辺が先制左前打。2点目を狙った二塁走者山口の本塁タッチアウトは相手の肩が上だったが、盗塁死(二回)、けん制死(四回)、送りバント失敗(五回)などもあって追加点が奪えなかったのは悔やまれる。
勝負どころのバントも勝敗を分けた。平安は五回のスクイズ、八回無死一塁のプッシュ気味のバント安打とも絶妙。明徳は八回裏一死三塁のスクイズがファウル。絶好の同点機を逸した。(早崎)
悪いところ出た
明徳義塾・馬淵史郎監督の話 負けパターンの典型のような試合になった。バント、スクイズ失敗に、けん制死。勝てる試合だったが、悪いところが全部出た。湯浅はよく投げてくれたし、鶴川も責められない。こちらに力がないということ。まだまだ甘い。
湯浅気迫の投球
先発湯浅は足を痛めていた。1回戦の後に違和感を感じた左足ふくらはぎが、二回のマウンドで悪化。急きょテーピングをほどこした。
下半身のバランスが崩れ、制球に苦しんだ。痛みを我慢しながら、「気持ちを込めて丁寧に投げた」。八回途中まで5安打1失点。三回には好フィールディングで投前バントを二塁封殺。八回のバント処理も猛ダッシュ。内野手と衝突して頭を打ち、降板せざるを得なかったが、“背番号1”通りの踏ん張りだった。
2年のセンバツでめった打ちをくらった甲子園で、「苦しくなると下を向く」(馬淵監督)癖も見せなかった。「甲子園でやっとチームの役に立てた。みんなに成長させてもらった。甲子園に連れてきてくれた2年生に、感謝したい」
「湯浅さんの気迫が伝わってきた」。一死二、三塁で先輩を救援した2年鶴川も先輩のすごさが分かっている。だからこそ「全部三振を狙った」。しかし内角を狙った球が甘く入り、決勝の中犠飛を許した。センバツ後に内転筋を痛め、走り込み、投げ込み不足が響いた。この夏は“不完全燃焼”だったに違いない。屈辱をバネにはい上がった先輩のように地道な鍛錬の大切さを今、感じている。
沖田 幕切れまで全力疾走
「3年間の思いを全部ぶつける」。打席に向かう沖田は目をつぶり、バットに向かって静かに念じた。1点追う九回裏一死一、二塁。一打同点、長打なら逆転サヨナラ。思いを込めたこん身のスイングだった。だが、打球はセカンド正面。ヘッドスライディングもわずかに及ばない。ダブルプレー。明徳の連覇の夢が終わった。
重圧をはねのけてつかんだ甲子園。主将沖田は「みんなでまた優勝旗を高知へ持ち帰る」。チームに、自らに再びプレッシャーをかけ、士気を高めてきた。「重圧はない」と言い切る背中に、何かがのしかかっていたのかもしれない。「県大会の調子を10としたら今は0」。甲子園入り後の調子はどん底だった。
それでも、沖田はチームを引っ張った。一回はなりふり構わぬセーフティーバントで出塁。先制のホームを踏んだ。勝ち越されたその裏には先頭打者で「おれに続け!」とばかりの右前打。163センチの小さな体でチームを鼓舞した。
沖田の「3年間の思い」とは何だったのだろう。チームを優勝に導いた昨夏の常総学院戦の起死回生の同点弾か。いや、人一倍多かった悔しい思い出ではなかったか。
1年生の5月に離断性軟骨炎で左ひじにメスを入れた。「野球はやめた方がいい」という医師に、「監督やコーチに絶対言わないでください」と頼んだ。60キロ近かった握力は9キロにまで落ちた。だが、野球にしがみついた。毎日外野ポール間を30往復走った。筋力トレーニングは馬淵監督に「えいかげんにせい」といわれるまでやめなかった。
今春センバツは試合中のヘッドスライディングで小指骨折。無念の欠場となった横浜戦でチームは敗れた。センバツ後は外したギプスを机の上に置き、練習前に必ずながめた。悔しさを思い出した。今もグラブをはめる小指に力は入らないが、決して弱音は吐かなかった。
そんな沖田を知る同級生たちも素質の高い2年の控えに、ただ甘んじてきたわけではない。たとえ試合に出られなくても、腐らずチームを支え続けた。そして最後の夏にしっかり意地を見せた。
九回、代打は永尾。県大会1回戦以来の打席だが、甲子園入りしてからも限られた練習時間の中で、気持ちを込めてスイングを重ねてきた。そして10球粘り、「3年間をぶつけた」一打は中前へ。春はレギュラーだった副主将川崎も死球でつないだ。
1回戦の同点打も控えの3年大原だった。「最後は沖田が打てなかったんだから、悔いは全くない」。そう言い切った永尾をはじめ、地道に努力を続けた3年生。無言で下級生に教えたものは大きいはずだ。 (早崎)
【写真】【明徳義塾―平安】9回裏1死一、二塁、沖田が二塁への併殺打に倒れ、連覇の夢を絶たれる。一塁手竹原(甲子園)
足りなかった勝負強さ 力はトップ級 再出発を
「下級生が5、6人いるが、ここまで大きなボロが出ていない。その不安と、試合ごとに力をつけている期待感で半分半分」。試合前の馬淵監督はチームを評した。
この日も決して“大きなボロ”は出なかった。むしろ明徳らしく、じわり重圧を掛け続けた。
一回は沖田がバントヒット。二回もアウトにはなったが、野村が盗塁を試みた。相手に足攻めをしっかり意識させた。何より先発湯浅も踏ん張った。「接戦に持ち込むことが相手投手への一番のプレッシャー。まず、こちらから点をやらない」(馬淵監督)狙い通り。筋の通った戦い方だった。
緊迫した好勝負だからこそ、小さなほころびが見えたのかもしれない。それが“弱点”として浮き上がった。打てない時に、いかに1点をもぎとるか。1点を守るか―。その練習を積み重ねたのが明徳の強さだった。だから中盤のバント失敗、けん制死は痛かった。
“ここ1番の勝負強さ”も足りなかった。六回一死三塁は5、6番が凡退。八回一死二、三塁も4番以降が走者をかえせなかった。平安服部にきわどいコースをつかれ、自分のスイングをさせてもらえなかった。県大会で1試合平均8残塁だった打線は、甲子園でも2試合連続の9残塁。甲子園で本塁打を放った選手が5人もいるなど甘い球を遠くに運ぶ力は兼ね備えていたはずだが、“穴”や“粗さ”も見えた。
無類の勝負強さを誇った森岡、筧、田辺佑の昨年の中軸と比較するのは酷だろうし、4番だけを責められない。山口は県大会から「僕は4番目の打者。チームバッティングで後ろにつなぎたい」と話し、再三チャンスをものにしてきた。1回戦でも適時打を放った。
だが、「全国レベルは沖田1人。6番打者が多い」(馬淵監督)と、打線は県大会直前まで打順が決まらなかった。一発はあるが確実性に欠ける、その「6番タイプ」のイメージを、結局振り払えなかった。KK時代の桑田(巨人)と並ぶ甲子園9試合連続ヒット中だった梅田の連続安打も止まった。
松原、梅田、田辺、久保田、鶴川、野村は2年生。バッテリー、二遊間を含めて主要なポジションは新チームに残る。「僕がもう一本打っていれば…」と号泣した田辺をはじめ、「先輩たちに申し訳ない」と目を腫らした梅田、久保田らが、この敗戦をどう生かすか。もちろんエース鶴川の成長は必須条件だ。
下級生たちは試合直後に宿舎をあとにして、その日のうちに学校に帰った。今日19日からは新チームの練習が始まる。地力は全国トップ級。「まだまだ甘い」(馬淵監督)部分をしっかり詰めてまた全国をにらみたい。(早崎)
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