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もう打たせん 長い“冬”を越えて
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寮では相部屋の松下建(左)と鶴川。リラックスできる先輩後輩の間柄だ(野球部の青雲寮)
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「センバツは無理―」。明徳のマウンドを守る鶴川、松下建2人の“冬”は、そんな思いから始まった。
「今まで野球やってきて、一番悔しい試合でした」。エース鶴川は、秋季四国大会の済美戦を振り返る。五回までの7点リードをひっくり返された。投手として、たまらない屈辱の敗戦だった。
先発した1年松下建は六回、相手に流れを渡すことになった本塁打を喫した。緩いカーブをたたかれたのだが、「何であんな球がいったのか、今でも分からない」。まだ2点リードしていた八回、リリーフに立った鶴川は、あっという間に逆転を許した。
「練習試合を多くやって、ほとんど勝ってる相手。力をつけているけど、低めに球を集めれば抑えられると思ってました。7点取ってくれた打線に申し訳なかった」。鶴川はエースの務めを果たせなかった自分を責めた。
準決勝で敗れたその日、鶴川は帰ってきた青雲寮で「きょうはおれのせい。お前はよく投げたのに…、すまんかった」。同室の松下建にわびた。後輩は「自分も力がなかったんです…」。つぶやくように答えた。
鶴川は全国中学大会優勝投手。松下建も硬球リーグで名前を知られた存在だ。日の当たる場所を歩いてきた。こと野球に関しては、初めてと言ってよい“挫折”だった。
打ち込まれた投手に言い訳はない。態度で示すしかない。それぞれ“冬”のテーマを見据えた。鶴川は球の切れを取り戻すこと。松下建はスタミナ強化だ。徹底的に鍛えた。ウエートトレーニングの合間には、「腕の振りは―」「変化球は切れてるか―」。互いに確かめ合いながら、気持ちを保っていった。覚悟はしていたが、2人にとって長い冬になった。
1月30日。センバツ出場校の発表の日だ。出場の一報を聞いて、2人は泣いた。鶴川は「甲子園は自分が一番輝ける場所。また思い切り投げられる」。松下建は号泣。言葉にならなかった。
「『何で打たれるのかな』って、自分なりに必死でした。でも済美に打たれてみて自分の立場が身に染みた。『僕がやらんかったら誰がやるんや』って…」。背番号1を背負う鶴川の顔から、秋に感じさせたひ弱さが消えていた。松下建も「これからは気を抜くことはない」。一球の怖さを身を持って覚えた。
馬淵監督も「うん、2人とも良うなっとるよ。後はしっかりと体調をピークに持っていくことかな」。
オーバースローの本格派鶴川と、サイドから切れの良い球を投げ込む松下建。タイプは違っても、ストレートで三振を取れる投手でいたい気持ちは同じ。そんな思いを持ち続けて、ひと冬越した。
「甲子園では済美と当たるまで負けないつもりです。次は絶対に抑える」と口をそろえた。大舞台で返さなければならないものがある。済美にも、ナインにも…。2人は“借り”を忘れていない。
(平成16年3月7日付朝刊掲載)
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