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2004年3月31日(水)<朝刊>
打線はつながらず 「競り合い」をプラスに
八幡商の10安打に対し、わずかヒット6本。16安打で10点を取った1回戦とは別物のように打線はつながらなかった。
共同インタビューの馬淵監督は負けチーム監督のような渋いコメントが続いた。「4点だけでしたね」の質問に「研究されていたせいか、いいコースを攻められた。『大振りするな』とは言ってたんですがね…」。ため息が交じった。
八幡商・上田の大胆な内角攻めに手を焼き、力んで高めのボール球に手を出す場面も目立った。バットのヘッドが下がって出ていた。フライアウトが多かった。1安打に終わった1番森岡は「もう少し打てたはず」と悔しがると、2番松原も「押し出すような投げ方でボールが緩かった。必要ない力が入った」。
「相手は粘り強い。早く点を取って引き離したい」―、そんな思いが裏目に出たのだろうか。
もちろんベンチの雰囲気も良くなかった。馬淵監督は「ずっと1―0で来たときは嫌でたまらんかった。久保田が打ってくれて良かったけど、本塁打(の得点)だけでは上にいけない」。1年赤瀬の盗塁はあったが、持ち前の機動力がほとんど見られなかったのも残念だ。
しかし、裏を返せば競り合いで我慢できたことは評価できるのではないか。10安打を浴びたが、鶴川の投球は決して淡泊ではなかった。
昨年は春夏ともに勝てる試合を落として2回戦敗退。どうにかこうにか“鬼門”を突破したことをプラスに考えたい。馬淵監督は「ずっと楽勝でいくと強いチームと競ったときにすぐ負ける。課題の残るような試合もしとかないかん」。冬場の打ち込みは嫌というくらいやっている。時間はないが、修正できるだけの地力はついているはずだ。(西村)
【写真】終盤の8回、無死一、二塁のピンチを迎え、マウンドに集まる明徳ナイン
馬淵監督 甲子園30勝
明徳義塾の馬淵史郎監督は30日の八幡商戦の勝利で、甲子園の春夏通算勝ち星が30勝(15敗)。30勝監督は10人目で、馬淵監督は1991年夏のスタートから足掛け14年、17度目出場で到達した。1位は中村順司監督(元PL学園)の58勝、2位は高嶋仁・智弁和歌山監督が46勝。3位は昨夏優勝を最後に勇退した木内幸男監督(常総学院ほか)で40勝。
馬淵監督は試合終了後、ナインから真っ黒になったウイニングボールを受け取り、「これが通過点ならいいんやけどなあ」。しかし、感慨深げに「30勝できるような選手たちに巡りあえたことに感謝している。まあ何でも積み重ねやからね。これからも一つ一つ大事に戦っていきたい」と話していた。
【写真】甲子園通算30勝を挙げて、ベンチ前で勝利の校歌を聞く馬淵監督
鶴川要所締める
明徳義塾の鶴川は10安打を浴びながらも2失点で完投。「打たれても要所を締めればいい」。過去3度の甲子園を経験しているとあって、マウンド上での落ち着きぶりはさすがだ。
終盤は八幡商の粘る打線にてこずったが「直球が走っていたので、それで押せた」。打者の内角を有効に突いて、反撃を最小限に食い止めた。
ぬかるんだマウンドでの120球に疲労は隠せなかったが「次も低めに投げて、打たせて取る投球をしたい」。雨にぬれた顔をふきながら、準々決勝での力投を誓った。
打線は修正する
明徳義塾・馬淵史郎監督の話 打線がつながらず苦労したが、泥臭くても確実に勝てたことには意義がある。八幡商も相当うちの研究をしていたし、そうそう完ぺきには勝てないね。腕が縮こまるのであまり細かいことは言わないが、打線は修正をする。
1球の失投が…
八幡商・池川準人監督の話 中盤が勝負どころと思っていたが、本塁打された久保田君への1球の失投が(勝負を)決めた。あそこをこらえておれば、粘りで行けたと思う。好投手の鶴川君から10安打できたが、雨で細かい攻めができなかった。
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