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2002年8月22日(木)<朝刊>
鍛錬実った 明徳に輝き 田辺4連投魂の116球
最終日は21日、甲子園球場で決勝を行い、郷土代表で初の決勝に臨んだ明徳義塾が7―2で智弁和歌山(和歌山)に勝って、第46回大会の高知以来38年ぶりの優勝を果たした。明徳は春夏通算19度目の甲子園出場にして初の全国制覇を果たした。
午後1時1分にプレーボール。智弁・田林、明徳・田辺両エースとも立ち上がりヒットを許さない。三回、明徳は初ヒットの今村をバントで送った二死二塁、沖田が右中間三塁打して先制。四回は智弁が連打とバントで一死二、三塁。ここで明徳はバッテリーがスクイズを外して三振併殺で逃れると、その裏田辺、山口の2人のソロ本塁打で2点追加。
五回に智弁に死球、バント、上野正の中前打で1点を返されたが、明徳は七回、沖田がこの日2本目の適時打、さらに一死一、二塁から森岡の左越え三塁打、筧の右犠飛で一挙4点、突き放しに成功した。明徳エース田辺は、九回、岡崎に中越え本塁打を許したものの、変化球の切れは最後まで衰えず、好打の智弁打線を2点だけに抑えた。
2時間1分、テンポよく進んだ試合は、明徳が序盤から最後まで試合の主導権を握って放さず完勝した。14日間の日程はこれですべて終了。地方大会含め参加4163校の頂点に明徳が立って、大会は幕を閉じた。
【写真】やったぞ優勝だ! 智弁和歌山の最後の打者を三塁ゴロに打ち取り、エース田辺(中央)に駆け寄る捕手筧、三塁梅田。右後方は感極まりグラブで顔を覆ってしまった主将の遊撃森岡(甲子園)
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【評】 1戦ごとに勢いを増してきた明徳。高嶋監督率いる智弁和歌山も、好機に犠打などで攻めるが、2得点がやっと。明徳のエース田辺は初めての4日連投にも力投し、打線は犠打に長打、2本塁打で7点。技に加えて勢いをつかんだ明徳が、うれしい全国制覇を果たした。
先制打は明徳沖田。三回、チーム初ヒットの今村を山田が犠打で進め、沖田が真ん中高めを右中間三塁打。四回は田辺が真ん中の直球をスクリーン右横、山口が低めの直球を左翼スタンドに運んで3―0。七回はビッグイニング。泉元の中前打に今村の犠打、山田の左前打で一死一、三塁。ここで強打に出ると沖田がまた適時打して1点。続く主砲森岡も左翼フェンス直撃弾。二塁手との交錯が認められ三塁打。筧の右犠飛で、計4点を奪い勝負を決めた。
エース田辺は力みのない投球で、準々決勝、準決勝とそん色ないベストピッチ。6三振を奪うが、基本的に打たせて取った。五回の適時打、九回のソロ本塁打の失点も、強豪相手だけに及第点だ。守りでも四回一死二、三塁のピンチで、ツーワンからのスクイズをウエストして、三振、挟殺としたのは見事だった。(土居)
▽1イニング2本塁打の大会タイ 明徳義塾が決勝の智弁和歌山戦の四回に記録。今大会の準々決勝で智弁和歌山が鳴門工戦の三回に記録して以来、通算32度目。明徳は3回戦でも沖田、森岡で記録。
選手が勝たせてくれた
明徳義塾・馬淵史郎監督の話 何度も2回戦、8、4強の壁に阻まれたが、今度は決勝戦に進み頂点に登れた。本大会は選手に任せようと、ベンチに座って、立ち上がりたい時もあったが辛抱した。選手の力でここまで勝たせてもらった。選手に優勝監督にしてもらった。感謝したい。
選手に任せ勝利つかむ 馬淵商店から馬淵物産へ
「1戦1戦勝っていく」の言葉通り、決勝戦にも明徳ナインに気負いはなかった。序盤こそ好投手田林に手こずったが、三回からは小技、長打で、一方的に攻める。ナインからは、決勝の重圧は感じられなかった。
一番のピンチは四回、2番に左前打され、3番の一塁線への初球バントがファウルと見守るとフェアになった。無死一、二塁で4番が送りバントして成功。5番をツーワンに追い込むが、意表を突きスリーバントしてきた。しかし、田辺が三塁走者の動きでウエストし、三振と挟殺のダブルプレー。日々の練習で培ったものだった。
馬淵監督は「思い切って外したのが大きかった。4番のバントで相手の焦りを感じた」と話す。相手チームの追撃をくじく、ファインプレーだった。
これまでと違い、「今チームは選手に任せている」と馬淵監督。県大会の岡豊戦を「棺おけから出てきた」とも表現。一度負けかけて出場した大会。選手の思い通りやらせてみようとの思いと、一度死にかけると命を大切にする、勝とうとの思いが強く出ると考えた。
また、これまでも、「馬淵商店から馬淵物産へ」と選手に問いかけてきた。社長が営業、販売などすべて判断する商店から、社の方針に従い現場の社員が判断して動けの意味だった。オーダーを決め、バントなど作戦は指令できる。しかし、その1球にどう対応するか最終判断は選手たち。立ち上がりもしたが、我慢してベンチに座った。
1回戦の1番山田の振り逃げからの好走塁、準決勝の一塁内野安打で二塁走者の沖田が本塁に生還したプレーなど、それぞれの場面での好判断が勝機を広げた。
九回、馬淵監督は就任以来のことが頭を巡ったという。球場を去る時、馬淵監督はウイニングボールを森岡からもらった。「1人1人の名前を書いてもらって、馬淵家の家宝にする」と笑顔をこぼした。(土居)
センバツ後から負け知らず ツキ信じ駆け上がる
「春は6回、夏は8回出場できた。夏の方が多いのが、心の中では自慢なんよ―」。馬淵監督が明徳ナインを率いて、甲子園に乗り込んだ回数だ。夏まで鍛え、総決算として臨んだ選手権の方が、出場回数が多い。その事への自負が言わせたのだろう。
センバツは8強。最後は福井商に初回予想外の大量8点を奪われ、後半追うも8―10で敗れ去った。そこから新戦力を加え、できる限りチーム力アップをし、夏に臨んだ。
馬淵監督は「あの悔しさで、ここまで来たかもしれんな」とぽつり。春季四国大会では夏8強の尽誠学園を12―1で撃破するなど、四国内強豪を寄せ付けない。県大会のピンチ岡豊戦は、ほとんど負けていたが、息をつないだ。今考えると、この戦いが一番の難所だった。センバツから帰ってから、練習試合も含めて負けてない。そして、「一度死んだ」と開き直り、ツキを信じて甲子園を駆け上がった。
1回戦の酒田南は5―0。犠打7、犠飛1は流れを相手に渡さず、手堅い明徳を印象づけた。夏の初戦9連続勝ちは、甲子園出場チーム中トップ。馬淵監督はそのうちの8勝を挙げる。2回戦の青森山田も梅田、山田の本塁打など9―3でねじ伏せる。当たりの渋っていた森岡も左越え三塁打。
3回戦の常総学院戦は手に汗握る攻防。試合巧者同士がしのぎを削り、中盤は常総・木内監督の「1点差でついていけたら」のパターンにはまりそうになった。だが、沖田、森岡が連続ホーマーして、そんな流れを断ち切った。ここで勢いに乗ったことが、優勝のファーストステップだった。
準々決勝の広陵戦はエース田辺の好投に、中軸打線も活発で7―2。四国対決となった準決勝の川之江戦は、好投手鎌倉を攻略して10―1。優勝争いに合わせるように、1戦ごとに投打が上向いた。実力だけで夏は難しいが、運や勢いをいつか味方につけ、決勝に進出した。
智弁和歌山との決勝は「1戦1戦に勝つ」と勢いを増したように、特別な気負いはない。打線は好投手、田林ものみ込んだ。4日連投のエース田辺は、疲れを見せず最後まで投げ抜いた。
馬淵監督は“負けないツキを守り”、上位打線のオーダーをずっと変えなかった。甲子園では1戦ごとに成長。センバツの後、負け知らずのまま、ナインはゴールを切った。(土居)
涙止まらない 主将森岡 歓喜にむせぶ
ただ1人、森岡の涙が止まらない。優勝の瞬間を待たず自然に涙があふれ出す。夢に見た瞬間が、ぼやけている。グラブで顔を覆い、よろめくようにマウンドに歩み寄る。仲間に抱えられながら、一番最後に歓喜の輪に加わった。
「しんどかった練習の日々が頭に浮かんで、涙が止まらなかった…」。不思議と1年冬の猛練習の場面が頭を駆けめぐる。秋季大会で自らの失策でサヨナラ負け。責任を感じながら4時間のノックを受け続けた。全国優勝が先輩や仲間への恩返し―。「先輩のできなかった優勝を絶対にしたい」。そう言い続け、自らを追い込み、チームを鼓舞し続けた。背負った重みのぶんだけ、涙がこぼれた。
責任感に加え、ドラフト候補と騒がれる重圧。春の時点から決して調子の良くなかった打撃は甲子園入りしてもなかなか戻らない。だが、「調子は良くないけど、なんとかします」と言い続けた。そして常総学院戦ではライトスタンド中段への決勝の140メートル弾。この日も七回に貴重な追加点となるレフトフェンス直撃の2点三塁打。チーム1の大会12打点を稼いだ。
これで1年夏から甲子園13試合連続ヒット。PL学園時代の清原は4試合。桑田でも9試合だ。甲子園のかかった県大会でも2年春以降、全試合安打。調子が悪くても打つ。大事な場面になればなるほど打つ。「教えようにも教えられない」と馬淵監督も舌を巻く勝負強さは、最後まで変わらなかった。
「なんで打てるのか、分かりません。ただ、おやじがバッティングの楽しさを教えてくれたのは確かです」。校歌を聞く間も、涙は止まらない。小学1年からティーバッティングの相手を務めてくれた父親崇さんと、ベンチに入れなかったメンバーへの感謝の気持ちがこみ上げた。
県大会まで帽子のひさしには「感謝」の字があった。そして甲子園では新しい帽子に「心は一つ」と書いた。「球拾いやバッティング投手がいるから練習ができる」。感謝の念を忘れない。県大会優勝の瞬間、森岡はマウンドの輪に加わらず、真っ先に控え選手のいるスタンドに走った。最後まで底を見せない強打者である以上に、頼れる主将だった。
校歌が終わった。田辺に支えられるように応援スタンドに向かう。仲間の顔を見て初めて、頼れる主将に笑顔がこぼれた。(早崎)
【写真】【明徳義塾―智弁和歌山】7回裏1死一、二塁で左越えタイムリー三塁打を放った森岡。この回明徳は決定的な4点を加えた(甲子園)
田辺 最後まで集中した
「田辺の連投に尽きる。大したもの」と馬淵監督。エースの力投が優勝を導いたと、田辺を褒めたたえた。
準決勝を終え、4連投を心配していた馬淵監督だが、トレーナーに診てもらうと状態は悪くない。前夜に「決勝もいくか」と聞くと、「いきます」と大舞台に志願した。
この時、馬淵監督は「田辺でここまで来られた。田辺と心中しよう」と決意したという。準々決勝、準決勝とも連投が幸いしたか、余分な力を抜き、変化球も使って持ち味を生かすピッチング。
心配された決勝は一回、3者凡退。田辺は「初回は3人で切りたかった。だらだら行くと重くなる」と立ち上がりも十分。三回はやや力が入ったように見えたが、四回はスリーバントスクイズを見破る余裕も。その後、五回に適時打され1失点、九回に4番岡崎に意地の本塁打を打たれたが、点差にも支えられ危なげない内容だった。
筧は「田辺は野球に対する真剣さが変わった」と言う。決勝の大舞台を投げ切った田辺は、「最後まで集中できました」。頼もしいエースの姿は、ナインの心に焼き付いたに違いない。
【写真】【明徳義塾―智弁和歌山】4連投となる決勝戦で力投する明徳田辺。智弁和歌山を2点におさえ、完投した(甲子園)
小柄な2年生大活躍
明徳2番沖田がまた打った。準々決勝の常総学院戦は起死回生の同点弾。チームを生き返らせた小柄な2年生が、決勝でもチームに息を吹き込んだ。
三回二死二塁。追い込まれたが、高めの速球を上からたたく。「普通に打てれば、外野の間を抜ける気がした」。セカンドの左を抜けた低い打球は、鋭く右中間へ。並の打者なら一塁で止まりかねない当たりだが、迷いなく一塁をけり、二塁手前でまた加速。先制三塁打として硬さのあったナインに勇気を与えた。
昨夏に左ひじを手術。秋はボールも握れなかった。だが、悔しさを胸に秘め、その間にウエートトレーニングに明け暮れた。そのパンチ力が監督の目に止まり、センバツで背番号7をつかんだ。
「岡豊戦でチームが1つになった。こわいものがなくなった」。優勝への志気の高まりを感じながら、迷いなくプレーしたという。「最後まであきらめないことを先輩から学びました。もっと練習して連覇したい」。161センチと思えない力強い打撃同様、きっぱりと言い切った。
努力のムードメーカー
「僕がしっかり守るだけ」。守備の人を自任する明徳二塁の9番今村が痛烈に2安打。「気持ちで打った」という三回のチーム初安打の左前打が先制点を呼んだ。
一回に右翼線のファウルフライをダイビングキャッチ。ベンチに帰ると、エース田辺がにこにこしながら、今村の背中をたたいた。グラブに刺しゅうしてある「ムードメーカー」の言葉通り、攻守に活躍、チームに貢献した。
身長163センチだが、東京・府中第八中時代はシニアリーグベストナインにも選ばれた。自信を持って明徳に入ったが、初日で出はなをくじかれた。森岡や筧を見て、「現実は厳しい。レギュラーは無理かもしれない」と思った。
だが、「レギュラーよりもチームの役に立ちたい。自分のできることをしよう」と気持ちを切り替えた。昨夏はスタンドで応援団旗の旗手も買って出た。守備に加え、しぶとい打撃と、バントも磨いた。
優勝の瞬間は、「想像以上に感動して、鳥肌が立ちました」。そうおどける表情は試合とはまるっきり違うムードメーカーの顔だった。
ミス取り返す本塁打
貴重な3点目は7番山口の本塁打だった。四回、カウント2―3と追い込まれながら、低めの真っすぐに腰の座った力強いスイング。「手応えありました」という一打は左翼スタンドへ。「右打者は(田林投手を)打てないでしょう」という馬淵監督の予想を見事なまでに覆した。
「田辺さんに迷惑をかけたので、取り返したかった」。四回表無死一塁で智弁和歌山は一塁線に送りバント。「ファウルになる」と打球を見送った山口だが、球は走者の足跡で方向が変わり、フェアグラウンドに戻ってきた。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。監督に送り出された2年生が意地の一打。先輩エースを助けた。
労苦実り花咲く
明徳義塾が参加4163校の頂点に立った。近い日にきっと大旗を握るとは思っていたが、その時がとうとうやってきた。高知で強さを誇るだけでなく、全国区の優秀なレベルでの認知を受ける。これまでに費やした長い労苦の時間が美しい花となって咲いた。
初めて明徳義塾の練習を拝見に行ったのは20数年前のことだった。須崎市の横浪県立自然公園の山中にある学校は、細い山道を下がったところにあった。グラウンドは広く、ここはきっと強くなるという印象が、そのときハチに刺された痛みとともに残っている。
あのころから強打のチームだった。練習量の多さが力強い打者を育成した。その粗っぽさも魅力の一つではあっても、全国大会には精密さも必要であったことが課題としてあった。
でも、決勝戦で智弁和歌山を圧倒したのは2本塁打が象徴するパワフルな打撃で、その持ち味は消えていなかった。馬渕監督が勝利の瞬間に思わず涙をぬぐった心境も分かる。(共同=万代)
【大会総評】 四国勢の躍進目立つ
初優勝した明徳義塾は投打に戦力が充実していた。確実なバントで走者を進塁させ、森岡、筧らで返す得点パターン。田辺は伸びのある直球にカーブ、スライダーを織り交ぜ、高いレベルで投打がまとまっていた。試合巧者ぶりは練習試合による経験の積み重ねが大きい。
智弁和歌山は一昨年を制したときのような破壊力こそないが、上位から下位まで振りは鋭かった。札幌一との1回戦を延長で制し、試合を重ねるごとに力をつけた。
四国勢の全4校が史上初めてベスト8に進出した。今春の準優勝校の鳴門工、春8強の尽誠学園は明徳義塾と同様、春の経験が夏も生きた。エース鎌倉が大黒柱の川之江は粘り強い攻撃で接戦をものにし、ベスト4まで進んだ。「四国の中では先に負けられない」という競争意識が作用したようだ。
今春優勝の報徳学園は1回戦で敗退したが、創部2年目で初出場の遊学館は1、2年生のメンバーだけでベスト8。来春に向けての成長は他校にとって脅威となりそうだ。
これまでよりは飛びにくいとされる金属バットが初めて導入された夏の大会だったが、総本塁打数は43本。ラッキーゾーンが撤去された1992年以降では最多だった2000年の38本を上回った。ウエートトレーニングの導入が当たり前になり、「打高投低」はより顕著になった。
ミスをきっかけに失点を許し、敗れるチームが多く見られた。キャッチボールなど、基本的なプレーの徹底が大切だ。(共同=福田)
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