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2002年8月22日(木)<朝刊>
戦うたびに強くなった OB、関係者ら感無量
不景気風にあおられる本県に、一陣の明るいニュースが駆け巡った。21日、甲子園での明徳優勝。「高知で、明徳で野球を」とやってきた球児たちは、戦うたびに強くなった。本県代表として一歩一歩戦い続け、本県に38年ぶりの夏の大旗をもたらした。感無量のOBたち、学校関係者、そして快哉(かいさい)を叫ぶ地元須崎市の人々。多くの県民が喜び、拍手を送った。
「新しい歴史ありがとう」 験担ぎ自宅観戦 吉田校長
明徳義塾の吉田圭一校長は、スタンドからではなく土佐市高岡町甲の自宅で妻、香代さんら家族とともにテレビ観戦。快挙の瞬間、「ヨッシ」とガッツポーズし、「よく頑張った、よく頑張った」と興奮気味に繰り返した。
吉田校長には自宅から応援する訳があった。自分が球場観戦した試合は、8年夏の徳島・新野高、そして10年夏の横浜高に、いずれも逆転負け。「校長が来ると負ける」。そんなジンクスがいつしか広がり、冗談と分かっていながらも気にしていた。
そして今大会の快進撃。準決勝前、それまですべて自宅観戦だったことに気付いた。それからは「自宅観戦なら勝つ」と験担ぎ。「そりゃあアルプス席で応援したい。けど優勝が優先で」。苦笑いしながら試合開始を待った。
試合は明徳ペースで展開。4回裏の2本の本塁打には「ヨッシャ」と腰が浮いた。その直後に大関、朝青龍関から不意の電話が。「先生、すごいよ。いけるよ」。それでも4年前の悪夢が頭から離れなかった。「まだこれから。お前も応援してくれ」
その後も、追加点ごとに勝利の手応えを感じながらも「まだ分からん」と気を引き締めた。そして、ゲームセットの瞬間、今まで抑えてきた気持ちがはじけた。
試合後は関係者の祝福の電話が絶えず、余韻を楽しむ暇もないほど。「新しい歴史を刻んでくれた。ありがとう」と言い、「これで僕のジンクスもひとまず終わり。今度は見に行きます」と顔をほころばせた。
【写真】ゲームセットの瞬間、ガッツポーズする吉田校長(左)=土佐市高岡町甲の自宅
朝青龍関懸命の応援 朝赤龍関TVの前で校歌 高砂部屋
大相撲の高砂部屋(東京都墨田区)でも、明徳義塾高OBの大関朝青龍、十両朝赤龍の両関取が熱い声援を送った。
朝青龍関は、平成10年夏の甲子園準決勝で横浜高に大逆転負けを喫した寺本四郎選手(現千葉ロッテ)らと同級生で、「あの時は悔しかった」。野球部が甲子園に出場すると、いつも熱心に応援している。今大会も「ユニホームの『明徳』の文字を見られて、校歌を聞けるだけでうれしい」と初戦からテレビ観戦。「今までも優勝する力があったのに運がなかった。今回は逆転勝ち(常総学院戦)で乗ってきたよね」
この日は後援会関係の所用が入り、残念ながら試合直前に外出することに。「車のラジオかテレビで応援する。優勝したらバンザイだよ。(日本の)故郷はいつも心の近くにあるからね」と笑顔で部屋を後にした。
朝青龍関の1年後輩だった朝赤龍関は、付け人と自室で応援。「校歌を聞くと、学校を思い出す。また聞きたい」とテレビに見入った。
明徳優勢の試合展開に「よし、よし」と盛んに拍手を送り、リードが6点になると「校長先生に電話しようかな、まだ早いかな」と携帯電話を持ってそわそわ。優勝決定後はテレビに映る校歌を一緒に歌い、「すごい。感動した。ぼくも人を感動させられるように相撲を頑張ります」と満面の笑みを見せた。
【写真】「優勝したらバンザイだよ」。試合直前、母校への思いを話す朝青龍関(東京都墨田区の高砂部屋)
市民の誇りだ 沸き返る地元須崎
市民の誇りだ――明徳義塾高校の地元、須崎市では、新町2丁目の市民文化会館大ホールに大型テレビ画面を設置して市民に開放。約200人の市民が初優勝に沸き返った。
同市内の三つの少年野球チームの球児約40人も、それぞれのユニホームを着て駆け付けた。
須崎ブルゴンズの浜川一雄監督は「レギュラーではなかったけど、明徳の野球部にはうちのOBもいたんですよ」。キャプテンの川崎章弘君=南小6年=は「須崎市民としてうれしいです。明徳のように僕も甲子園を目指したい」。
最終回、智弁和歌山の反撃を断って、ゲームセット。少年野球の球児たちと大人たちが跳び上がり、応援の鳴子を振り回して「やった、やった、やったー」と乱舞した。
観戦していた市内の男性は「市の中心地から遠いこともあって、いまひとつ地元のチームという感じがなかった。でもこの優勝で気持ちが一体になったと思う。市民の意識も変わるでしょう」。別の市民も「須崎市の誇りです」と話す。
梅原一市長は高知市内で開かれていた会合に出席していたが、休憩を取って最終回をテレビ観戦した。優勝の瞬間は感極まって涙声。
「初代の吉田幸雄校長も天国で喜んでいると思う。ベンチに入れなかった選手たちもこれで本当に報われた」としんみり話していた。
「監督の涙初めて見た」 ひろめ市場で100人が観戦
高知市でも、帯屋町2丁目のひろめ市場のテレビ前に野球ファンらが陣取った。点が入るたび、拍手と歓声。試合が進むにつれ観戦者は増え続け、やがて約100人に。優勝が決まると、「おおーっ」「ようやった!」と拍手が沸き起こった。
市内の男性(54)は「やりましたねー、日本一。うれしいねー。馬淵監督の涙は初めて見たよ。ほんとに良かったねー」。試合開始の1時間前から一番前の席で待っていた男性(69)は、ビールジョッキを傾けながら「今日は特別に飲んでます。田辺が疲れてるから大丈夫かな、と心配してましたが、良かったー。これで野球王国復活」と、気持ちよさそうにグビッ。
試合を見守る制服姿の高校生の中には、学校の補習帰りに寄った追手前高校の元野球部員らも。内野手だった林洋平君(17)は「試合はほとんど見てました。本当によかった。おめでとう」。喜多頼広君(17)も「森岡の涙に感動しました」。ピッチャーだった山崎慎太郎君(17)は「こんなに甲子園を楽しめたのは初めて。2年の時には筧をショートゴロに打ち取ったこともある。自慢になります」と話していた。
「心を一つに」テーマに応援 近畿ブロック後援会
明徳義塾の応援席は、父母らでつくる「明徳義塾近畿ブロック後援会」に支えられている。メガホン配りから飲み物の世話、スタンドのごみ拾いと裏方の仕事を優先。この春まで6年間、会長を務めた北田勝幸さん(49)=大阪府堺市=は「手づくりの応援なので、まとまりがすべて。野球部と同じく私たちも甲子園の経験を積み重ね、形ができてきた」と、悲願の初優勝に目を潤ませた。
北田さんは長男が中学に入学した平成8年、後援会長になった。「その春、初めて甲子園に来たけど、人数は2、300人でブラスバンドは数人。ほかの学校と比べようもない寂しさやった」
やがて明徳義塾は甲子園の常連になり、応援席は一般客であふれるほどに。「生徒を動員して派手に応援する学校と違って、うちはその場で来てくれた人に協力をお願いする素朴な応援。『心を一つに』というテーマでやってきた」。後援会長を引き継いだ櫨原(はぜはら)勤さん(54)=和歌山県田辺市=も「北田さんらがつくってきた雰囲気を大切にしたい」と強調する。
この日も、試合の展開以上にスタンドが気になる北田さん。グラウンドより応援席を向いている時間が長い。時には羽目を外す若者に注意を促すことも。「知らない者同士が声を合わせて、ええ応援。優勝というごっつい褒美をもらい、ますます甲子園から離れられんよ」と笑った。
国体にも弾みに
橋本大二郎知事の話 選手の皆さん、馬淵監督、本当におめでとう。常総学院との試合を除いては、あまり気をもまずに見ることができたが、それでも監督や選手の皆さんにとっては緊張の連続だったと思う。その緊張と連戦の疲れを物ともせず、圧倒的な力で素晴らしい戦いぶりを見せてくれた。高知で開かれる国体と全国障害者スポーツ大会に向けても大きな弾みになった。連勝記録をさらに伸ばせるよう精進してほしい。
本社が号外発行
明徳義塾の甲子園優勝で、高知新聞社は21日夕に号外を発行した。高知市中心街や高知空港などで約5000部を配布。大橋通では通行人が次々に手を伸ばし、女子高生が「優勝ってすごい」「筧君ってかっこいいよね」と見入っていた。
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