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2002年8月22日(木)<朝刊>
明徳に来てよかった 広島出身の台選手
あれを見逃していたら、今の自分はなかった――。4年前の準決勝、明徳義塾―横浜の激戦を伝えるテレビ中継が、広島県の中学2年生の野球少年のまぶたに焼き付いた。背番号14、台義明選手(17)の優勝への道のりは、すべてここから始まった。
「土壇場で横浜に逆転されたけど、最後までみんなが一つになろうと頑張っているのに感動した」。ゲームセット。マウンドに突っ伏す寺本四郎投手(現ロッテ)を馬淵史郎監督が抱き起こし、アルプス席へあいさつに連れていく…。
「あの最後を見た瞬間、明徳しかないと思った。ほんとに直感でした。迷いはありませんでした」。中学2年の夏に固めた決意。頑固な性格を知っているから、両親の明夫さん(42)、みはるさん(38)=広島県三原市=も止めはしない。「自分の決めた道だから、悔いは残さず頑張ってきなさい」と送り出した。
中学時代は主将でショート。明徳でもレギュラーを目指して必死に頑張った。ポジション争いは激しく、二塁、三塁、ショートすべてを試された。
正三塁手の座に手が届きそうになったとき、新1年生梅田大喜選手が台頭する。遊撃に回ると森岡良介主将の厚い壁があった。昨秋の新チームからベンチ入りしたが、役目は専ら三塁コーチ。目の前にある三塁線の向こうにいたかった。
まめに筆を執る。両親とのやりとりはほとんど手紙。家族の誕生日や父の日、母の日には必ず送った。センバツを悔しい結果で終えた春先には、「野球をやらせてくれてありがとう」の文面。両親をじーんとさせた。
野球日誌も欠かさない。監督語録や技術メモ、自分の心境を毎日つづった分厚い大学ノートが2冊。「決勝のミーティングが最後のページになりました」。3冊目の最初のページは、びっしりと優勝の喜びが書きつづられるはずだ。
「明徳に来てよかった。あきらめず最後まで頑張ったから。甲子園は小学生のときからの夢でしたから。親に心配かけたかいがありました」
【写真】チームを盛り上げる台義明選手(甲子園球場)
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