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「甲子園で十五年校歌を聞いてないな―」。センバツ出場が決まった高知高グラウンド、ネット裏の関係者からそんな言葉がもれた。恒例の勝利チームの校歌のことだ。春は六年ぶり十三度目の出場、夏に至っては一九八一年に出て以来、ずっと遠ざかる。最後の勝ちは八六年のセンバツ1回戦、3−0で帝京を完封した時。今春出場するナインは当時一、二歳。えんじ色のスクールカラーが、甲子園で勝ち進む記憶はない。甲子園では二年前から、二回の攻守交代時に校歌を流し始めた。だが、県内で唯一、春夏優勝の輝く戦歴を持つ高知。伝統の意地にかけても、勝って校歌を聞きたい。二十一世紀最初の甲子園へ、新たな一歩を刻む新生、高知ナインを追った。
遠ざかる出場
「七一−八一年の間に春夏九回出場しました。五年行かないと『何しよらあ』と言われる。今度の出場がこれから頻繁に出られる、きっかけになってくれたら」と岡本道雄前監督。
高知は八六年、九〇年、九五年にセンバツ出場を果たした。しかし、九五年を最後に、センバツは明徳義塾が五年連続出場。夏の選手権を合わせると、昨夏まで六季連続の出場で、ほぼ独占。高知は県大会である程度まで勝ち上がるものの敗退、出場権に届かない年が続いた。全盛期に比べ選手層が薄く、苦しい選手起用を強いられた面もある。名将、岡本前監督も「行けんなったら遠い」と感じた。
明徳の台頭ばかりでない。九〇年に突然、岡本監督が解任された。この後、光内数喜監督、中村敏彦監督と短い間隔で交代。選手に戸惑いがなかったとは言い切れない。そして、九四年に岡本監督が再就任し、九九年春に中村監督に再びバトンタッチした。
高知の六四年夏優勝メンバーで県高野連の東山進副審判長は、「例えたら、巨人と弱い球団のようなもの。明徳は学校の態勢も整い補強もできてよく練習している。それ以上のことをせんと勝てん」と明徳と高知を比べた。OBには危機感より、あきらめに近い心境で見守る者さえいた。
伏兵が明徳破る
「3強」時代の立役者の一人、高知商の谷脇一夫元監督は「うちが甲子園で優勝した時、選手層は高知の方が厚かった。技術だけでは今の明徳には勝てない。いざというときに力を出せる野球をしないと―」。
近年の盤石とも思える明徳に、高知に限らず県内各校は「明徳を倒す=甲子園」ととらえ挑戦してきた。高知商は正木陽前監督が率い九四年センバツ、九五、九七年選手権と出場を果たしたが、「(明徳は)層も厚いが、練習時間も年間で四割は多いのではないか。その中でどう勝たすか。今考えると選手を乗せ、勢いをもっと考えると良かった」と振り返る。
ところが昨秋の県大会、明徳が実力を付けてきた伏兵高知東に敗れた。高知は自らの力で破ったわけではないが、チャンスが広がった。決勝で高知東を破り県1位代表。四国大会はベスト4に終わったが、甲子園切符を手にした。
土佐の籠尾良雄元監督は「高知の出場をほかのチームも刺激にして、意欲を燃やし頑張ってもらいたい。明徳の出場が続いたので、県民の期待も大きい」。
明徳以外の県勢が、六年ぶりにセンバツに出場する。
【写真】甲子園はすぐそこ、必ず勝って校歌をグラウンドに響かせる。この冬、一回りパワーアップしたナインら(高知高グラウンド)
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高知高のセンバツ成績
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| 1955年 | ●6−7 | 高 田 | (上瀬哲也) |
| 62年 | ○4−2 ●0−3 | 玉 竜 PL学園 |
| 66年 | ○10−1 ●0−2 | 県 兵 庫 米 子 東 | (溝渕峯男) |
67年 準優勝 | ○4−0 ○3−2 ○2−0 ○11−1 ●1−2 | 仙 台 商 桐 生 熊 本 工 甲 府 商 津 久 見 |
| 71年 | ●0−4 | 木更津中央 | (岡本道雄) |
| 72年 | ●2−3 | 福 井 商 |
| 74年 | ○3−0 ○1−0 ●1−3 | 津 久 見 横 浜 和歌山工 |
75年 優 勝 | ○5−4 ○2−1 ○3−2 ○10−5 | 熊 本 工 福 井 商 報徳学園 東海大相模 |
| 78年 | ○5−4 ●0−5 | 岡山東商 郡 山 |
| 86年 | ○3−0 ●1−2 | 帝 京 宇都宮南 |
| 90年 | ●0−14 | 日大藤沢 |
| 95年 | ●4−5 | 前 橋 工 |
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※( )内は、出場時の高知高監督名
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