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硬式球児あふれる大阪 夢実現へ今年も旅立ち
「高知の高校野球の現状は、県外の野球少年に浸食された状態とも言えます。どうとらえればいいんでしょう」
大阪のあるボーイズリーグ関係者に率直に聞いた。一瞬詰まった後、彼は言った。
「われわれにすれば、地方に出た方が甲子園のチャンスは広がる。どんどん行かしてあげたらいいと思う。逆の立場だったら、確かに気分良くないかもしれませんね」
しかし、こうも続けた。「でも、それは閉鎖的なものの見方とも言えないでしょうか。大リーグでは白人も、黒人も、アジアもない。ところが、日本人は『日本人が活躍してこそ』、という意識が強い。日本がメジャーに追いつけない理由にもつながるような気がする」
甲子園を求めて球児たちは明徳義塾にやって来る。県内のライバル校にも大阪育ちの選手はいる。彼らは十五歳で決断を迫られる。自らの夢実現のために親元を離れ、遠く厳しい環境に挑む。
スポーツ留学は高校野球に限らず、今や常識。大半の競技で優勝しているのは、地元枠にとらわれない私立校だ。外国人留学生も活躍の時代。確かに視野の狭い話かもしれない。
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「受け皿が少ないんですよね。あれだけの少年野球のチーム数で、夏の甲子園枠が1校ではかわいそうですね」。明徳監督、馬渕史郎(44)は野球王国、大阪の現状に同情する。
大阪はプロ、ノンプロ上がりの指導者が山ほどいる。1チームにスタッフ三、四人は当たり前。高校並みの練習を積んでいるところもある。
「中学校の軟式野球は、指導者が少ない上、先生も転勤があるでしょう。甲子園を目指すなら、早くから硬球になじんでおいた方がいいと考えるのは自然の成り行き。切磋琢磨(せっさたくま)して競争するから、レベルアップする。なのに、甲子園への大阪代表は1校か2校。地方へ散っていくのは仕方ない」と、ボーイズ連盟(大阪)の関係者も同じ見方だ。
先輩のいる高校が甲子園で戦う時は、アルプス席に駆けつける。幼いころから目に焼き付いた甲子園。自分たちも府外に出ることに、さほどの違和感は覚えないという。
そして指導者たちの夢が加わる。「まず、自分のチームから甲子園球児を出したい」。次は「プロ野球選手を」。どこが夢実現の早道か。数ある選択肢の中でも、明徳は特に強い信頼を勝ち得ていたのだった。
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地価の張る都会。グラウンド難のはず。なぜ硬式クラブチームがどんどん増えているのか――大阪を訪ねる前に抱いた疑問は、すぐに解けた。グラウンドはいくつもあった。
あるチームは、河川敷の広場を自分たちで改修して、グラウンドを持っていた。冬場はプロ野球の二軍選手も自主トレ場として顔を出す。プロの現役コーチが来て、子供たちを直接指導することもあるという。
別のチームは、平日はメーカーのグラウンドで、週末は公営野球場を借り上げて活動していた。年間の球場使用料は小中学両部門で二百万円にも上るという。
熱心な指導態勢の下、大阪は硬式少年クラブチームの一大産地として化していた。
そしてこの春も、日本全国へ相当数の子供たちが、羽ばたいていく。
(敬称略)
(運動部・掛水雅彦)
(写真部・吉良憲彦)
=おわり
【写真】練習中、監督のゲキで気合を入れ直すナイン。平成10年夏、横浜に逆転負けした時のベスト4が明徳の最高成績。そのころから有力候補の一角に名を連ね続けている
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