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し烈 レギュラー争い 監督へ必死のアピール
「何でこんなチームに入ってしまったんやろう」。今春卒業したサード、平峯康二(神戸学院大進学)は一年生の時、何度も後悔したという。
出身は兵庫県の山奥。単純に甲子園にあこがれていた。中学時代は投手で四番。倉繁の小指骨折で、「とりあえずショートやってみないか」と監督、馬渕史郎(44)に勧められた。 明徳義塾の野球部は、特にポジションの指定はない。本人が好きな所を選ぶ。当然、自然淘汰(とうた)が起こる。 二塁は松元が飛び抜けており、すぐに希望者が減った。余波が他のポジションへ及ぶ。サード十人、ショート六人。投手十五人…。 「無理と思ったけど、悪いところ直して、倉繁にないところをアピールしていこうかなと」、と平峯。 肩と足が抜群の倉繁は、昨秋ドラフトでも名前が出たほどの素材で、当初から力の差はいかんともしがたかった。「一歩目を速くするとか、声を出す、進んで球を拾うとか。とにかく目立って、監督さんに気づいてもらうしかなかった」 そうは思いながらも、練習後の自主トレで、ランニングやウエート、ティーバッティングをしている時、不安にかられた。「意味があるんかなー」 瀬戸際の悔しい思いが多かった。二年生の春と夏の甲子園。背番号「16」圏内だったが、春は主軸打者の谷口和弥(同志社大)の復帰で、夏は手首のけがで涙をのんだ。 「けがの時は情けなかった。僕はいつも『うらやましいなあ』と思う側。頑張って、メンバーを見返してやろうと思うしかなかった」 まじめさと俊敏さをかわれ、二年の秋からサードのレギュラー位置を手に入れた。 ◆ ◆ 「監督の目にとまれ」。激しいチーム内競争で、定位置をものにする鉄則だ。昨秋からエースナンバーを背負った三木田敬二も、ひそかに努力した。 一塁手としてシニアリーグの全日本ベストナインにも選ばれたことのある三木田だが、志望は投手。だが、左腕、増田陽紀に大きく水をあけられる。二年の春までは練習試合の登板も最後の一、二回程度だった。 「監督さんが『放ってみろ』と言ってくれて、初めて登板できるんです」 紅白戦、練習試合、シート打撃、常に監督のすぐ目に入る場所にいて、「だれか投げてないやつおらんか」と言った瞬間に、手を挙げた。 「行け」と言われたら、動揺せずにいつでも登板できる準備も怠らなかった。最初のころは、フリー打撃登板で先輩の苦手なコースを覚え、シート打撃で詰まらせて目立つしかなかったという。 それが二年の春先、増田のわき腹疲労骨折を機に、公式戦での出番が回ってきた。 「実戦が自分を育ててくれた。運が良かった」と振り返る。 だが、背番号「1」を手に入れても全く気が抜けない。ライバル増田のほかにも十人近い投手志望者がいる。「いつ抜かれるか分かりませんからね」 し烈なレギュラー争いが、強さを増幅している。 (敬称略) 【写真】寮生活の中でもつらいといわれる洗濯。1年生が当番だが、ユニホームの泥は洗濯機で落ちないためブラシでこする。お湯の蛇口は1つしかなく、冬場の夜間練習後は、しばしば水で洗うことも |
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