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「落ちこぼれじゃない」 没頭できる環境求め
「どかんか! 大阪の落ちこぼれが!」
明徳義塾ナインは突然、後ろからどやしつけられた。びっくりして振り向くと、他校の応援の年配者たちだった。
昨年八月下旬の県新人戦。勝ち残った明徳が、次の試合を見ようと、高知球場のバックネット裏で席を探して立ち止まっていた時だった。
「気にしたら腹が立つだけだ」。主将の田山国孝は唇をかみしめ、自分たちの座る場所を決めた。
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三年前の夏、ボーイズリーグの夏の全国大会で準優勝した後、田山は大阪在住の明徳関係者から声をかけられた。「一度、明徳の練習を見にきてほしい」
巨人の桑田真澄をはじめ、プロ選手六人を送り出している「八尾フレンド」の主将で二番、二塁手。二年前のセンバツ甲子園準々決勝、明徳にサヨナラ勝ちしたPL学園の平石主将、上重、稲田両投手は先輩だ。
「一度行ってみたいです」。監督、大浦泰弘(38)に言うと、「自分で見て決めたらいい」。父、明夫(57)も含め三人で明徳を訪ねた。
土佐市から須崎市にかけて横たわる横浪半島の山の中を車が走る。「こんな所に本当に学校があるのか。全然、イメージと違うじゃないか」。不安が募ってきた時、ようやく谷底に校舎が見えた。
練習前の昼休み、野球部寮の入り口わきにある監督、馬渕史郎(44)の家を訪ねた。
「バッティングと守備とどっちが好きや」。テレビで見たことのある男は、鋭い目つきで聞いてきた。
バックネット裏で練習を見た後の別れ際、「二回は甲子園へ行けるかもしれん。期待しているぞ!」と、馬渕から声をかけられた。
「その日、家に帰って『行こうかなあ』と言ったと思います。母は離れてほしくなかったようだけど」と田山。
母、由利子(44)は、「『怖いような気もするけど、あの中で練習してみたい』と言った」と振り返る。
当時、田山には明徳のほか地元大阪の甲子園常連校や山陰地方の合わせて7校から誘いが来ていた。「君のために内野を空けて待っている」とさえ言う有力校もあった。ただ、小さいころからあこがれていたPL学園だけは誘いがなかった。
明徳についての知識は平成四年夏の「松井5敬遠」ぐらい。「練習と生活が厳しい」と聞いたことがある。
「友達からも『なんでそんな遠い所へ行くんや』ってよく聞かれました。でも、何と言っていいか…。甲子園に一番近いし。監督の言葉もうれしかったし、野球に没頭できる環境へのあこがれですかね。親と離れて暮らしているという自負心や洗濯、掃除、ここで学んだ礼儀作法は、将来きっと役に立つと思うんです」
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明徳が五年連続で春のセンバツ甲子園に出場する。平成八年春以降では、春夏九度のうち八度と、県代表をほぼ独占状態だ。だが、強くなるほど県外から硬式野球経験のある選手が集まり、ついに今年のベンチ入り十六人には、一人も県内出身組がいなくなった。なぜ、彼らは遠く離れた「孤立の世界」に野球の場を求めてやってくるのか。秘密を探った。
(敬称略)
【写真】明徳を率いる主将田山国孝(中央)。ボーイズリーグの「八尾フレンド」時代も主将。副主将だった記(き)幸広は、上宮太子で主将。甲子園で会うのが楽しみという |