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十月六日夜。高知市鷹匠町の閑静な住宅街にある知事公邸。庭に面した部屋から、カーテン越しに明かりが漏れていた。
その中に知事の橋本大二郎を囲み、六人の自民党県議がいた。三十、四十代の当選一−三期生。政治の世界ではまだ若手だ。
県農協連会長の所谷孝夫が出馬表明してから五日目。対応をめぐって自民党県議団(二十三人)は揺れていたが、橋本を前にした彼らの結束にブレはなかった。夜も更け、別れ際にだれかが言った。
「知事さん、何かあったら骨を拾うてよ」
「おいおい、骨になっちゃあいかんだろう」
どっと笑いが起きた。
外に出ると、高ぶった気持ちに夜風が心地よい。だれも真っすぐ帰る気にはなれなかった。「今晩は張り込みの記者も来ちょらん。皆で飲みに行こう」
■“七夕事件”■
四月の県議選で、自民党にもフレッシュな顔が増えた。「若手の議員と勉強会を開きませんか」。三期生の植田壮一郎の提案に、橋本も全く異論はなかった。ようやく知事の日程調整がつき、「七月七日」と決まった。
若手議員に声を掛けた植田は、勉強会の件を議員会長の結城健輔に報告した。が、結城の返答は「この時期に行うのはいかがなものか」。幹事長の土森正典を中心に、党県連が知事選の候補者探しを進めていたからだ。
植田は、党県連の組織広報委員長でもある。役員会でも待ったをかけられた植田はぶ然として、「じゃあ、(会派が)分かれても仕方ない」。この発言が、植田に対するベテラン議員の心証を悪くした。
結局、七月七日の会合に出席したのは、植田を含む自民党役員らと、知事ら県執行部。若手の顔はなく、橋本もほとんど発言しなかった。植田が考えた勉強会とは全く異質のものだった。
この“七夕事件”をきっかけに、若手は作戦を練り直した。「党の青年局・部として動けばいい」。県連青年局長は二期生の浜田英宏。以来、浜田や青年部の広田一(二期)らが中心になった。
■「7対3」■
十月七日、県議会で自民党の議員総会が開かれた。三日前に所谷から推薦願が出たことを受けて、知事選対応について意見を聞くためだ。当選期数別に分かれて意見交換した。一期生五人、二期生六人の大半は橋本支持だった。
「二十一世紀につなぐ県政のリーダーとして、だれがふさわしいのか。県民本位で冷静に考えなくてはいけない」
「所谷さんの政策方針を見ると、情報化に消極的。農業政策だけの人に県政を任せられない」
ある一期生の言葉が、若手の意見を代弁していた。
八日の議員総会では、出席者全員が意見を述べた。温度差はあるものの、「橋本支持=七」対「所谷支持=三」だった。
「だれが知事候補にふさわしいかだ。推薦願が(所谷)一人しか出ていないから、それで決まりと言うのはおかしい」
橋本を支持する若手の主張は、一貫して「人物、政策本位」。橋本が自民党に推薦を求めていないことなど、大きな問題ではなかった。
五月の県連大会で持ち上がった独自候補擁立の声。だが、ほとんどの者が腹の中では「橋本を超える候補が、そう簡単に見つかるはずがない」。そう思っていたところへ、急転直下、所谷が名乗りを上げた。
主戦論一本で来ていた県連役員の一人が、珍しく弱音をはいた。
「知事が自民党に推薦願を出してくれさえしたら、こんなことには…」
橋本支持派の県議は「農協が推薦願を取り下げてくれたら一番いいけど…。どうしてこんなことになったんやろ。疲れた」。
所谷の推薦の是非を協議する総務会は、翌日に迫っていた。
(文中敬称略、知事選取材班)
【写真】夜の知事公邸。橋本知事を囲んで、自民党の若手県議らが結束を確かめ合った(高知市鷹匠町)
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