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九月二十八日朝。自民党県連幹事長の土森正典から、独自候補の擁立が行き詰まったことを知らされた県農協連会長の所谷孝夫は、親しい来客を前に話し始めた。
「減反にはことしも努力したけんどねえ。県が手を引いてしもうて、達成率は九一%に落ちた。ショウガの航路も…。輸送ルートができたら、次は必ずキュウリや野菜が来る。経済合理主義で高知県の農業はやっていけんのに、それを知事は分かってない」
そう口に出しながら、所谷は自分の気持ちを整理していた。このままでは県知事選挙は事実上、現職の橋本大二郎の信任投票で終わってしまう。それでは知事の姿勢は何も変わるまい。座して死を待つよりは、農民の代表として、自分自身が打って出るべきではないか。
昼食に出るため乗ったエレベーターの中で、所谷はだれに聞かせるでもなくひとりごちた。
「五反百姓の意地をみせちゃる」
所谷が出馬の腹を固めた瞬間だった。
■「ノーとは言えない」■
同じ日、農協連理事の一部が、知事選に所谷を擁立すべく電話で根回しを始めていた。勝負どころは三十日の農協連理事会。所谷に決起を促す火付け役まで決めた。
二十九日朝。既に農協連内部で候補擁立の動きがあると察知していた土森は、自民会館で党県連の四役会議を開いた。党として、独自候補の擁立はもう断念するしかなかった。
「農協から推薦願が出たらどうする?」
「党との関係、経緯からいっても、ノーとは言えない」
総務会長の溝渕健夫、政調会長の元木益樹、組織広報委員長の植田壮一郎。全員がうなずいた。
ほぼ同じころ、所谷は会長室で来客に話しかけていた。
「中平善之進を知っちゅうかよ。津野山一揆(いっき)を指導した庄屋よ。責任を問われ、首を切られた。けんど、その後に善政が敷かれた」
自分に言い聞かせるように続けた。
「わしは庄屋みたいなもんよ。一揆を起こしたら、打ち首になってもしようがない。けんど、後に善政が敷かれるやったら…」
自分は屍(しかばね)になっても―と続く言葉を所谷はのみ込んだ。現職知事に反旗を翻す。その重大さに押しつぶされそうになりながら、所谷は自分自身を納得させ続けていた。
■「促すはずが…」■
三十日午前十時、農協連理事会が始まった。知事選問題を話し合う予定はなかった。一部の理事が決起を促そうとしていることなど、所谷も側近も全く知るよしもなかった。ところが…。
「皆が一致して推してくれるなら」
冒頭、あいさつに立った所谷が、いきなり出馬を口にした。驚いたのは決起を促すはずの理事たち。「よっしゃ。やるぞ」で全員一致。所谷は決意を表明し、全員が立ち上がって拍手を送った。盛り上がった。
「直ちにマスコミに発表し、決戦ムードをつくろう」との声も上がったが、検討の末に退けられた。逆に出席者全員に厳しいかん口令が敷かれた。
かん口令は農協組織内部と自民党への配慮だった。自民党県連にはすぐに報告された。夜になって県連四役が会長室に所谷を訪ねた。約四カ月にわたって擁立作業に汗を流した幹事長の土森は、「よくぞ出てくれた」と言わんばかりに笑みを見せた。対照的に、組織広報委員長の植田の表情はなぜか硬かった。
所谷は、四役の口ぶりから「自民党は自分を推薦してくれる」との感触をつかんでいた。いや、所谷だけではない。候補擁立作業の経緯や自民党との関係から、すんなり推薦されると理事全員が信じていた。
しかし…。
(文中敬称略、知事選取材班)
【写真】農協連幹部とともに出馬表明する所谷孝夫氏(右から2人目)。「一揆を率いる庄屋」の心境で決起した(10月1日、JA高知ビル)
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