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八月二十七日。県農協農政会議が現職の橋本大二郎を推薦しないことを決めて以降、農協グループ内では急速に「現職以外の候補を支援して戦おう」との声が高まっていった。まるでこれまでの不満が一気に噴き出したかのように。
自民党県連の擁立作業と並行して、九月に入ってからは独自候補擁立を求める声も出始めた。しかし、農協グループが一丸となって担げる候補となると、簡単には見つからない。
九月十日に行われた組合長会では、県農協連役員に怒りの声が飛んだ。
「(知事を推薦しないと)新聞にまで出たに、どうしよら。推薦せんとこぶしを振り上げた以上、はよう対応を決めんか!」
自民党の独自候補擁立に期待していた会長の所谷孝夫は、組織内の突き上げと自らの責任感に圧迫されながら、「どうする、どうする」と自問自答する日々が続いた。そして徐々に、「一揆(いっき)を起こす庄屋」の心境になっていった。「いざとなれば自分が立つしかない」と。
一方、島根から戻った自民党県連幹事長の土森正典は、ある人物のリポートに見入っていた。「高知県政へのアプローチ」と題する力作を読みながら、土森は心を動かされた。しかし、「あの知事に対抗するには…」。決断がつかないまま、疲労感だけが残った。
■知事の電話■
権力を握る知事には、最新の情報がいち早く入る。しかし、農政会議の動きは橋本の耳には入っていなかった。「橋本知事を推薦せず」。農政会議の決定は橋本にとって寝耳に水ではあったが、特段の焦りはなかった。七月には、県職員労働組合が同様の決定を行っている。それより、橋本には気掛かりなことがあった。県庁内部の手違いから、農政会議の陳情に自分自身が対応できなかったことだ。
本音で物を言い、ときに相手と激論を交わす橋本だが、後に尾を引くタイプではない。ドライで冷たいと受け止められたりもするが、礼儀は重んじる。
しかし、川野、伊藤、所谷と三代の会長にまたがる農協連との溝の深さを、橋本はほとんど理解していなかった。
九月中旬、知事秘書から農協連に電話がかかった。「雑談でもいいので知事がお話をしたいと言っている。三十分くらい会えないでしょうか」。決起を胸に秘めていた農協連側は「この時期に会う必要はない」と判断、「会えない」と断った。すると、二十二日朝には知事本人から電話が入った。「終日会議で会えない」と答えると、「終日とは何時までですか」「知事がかけているのに、なぜ会えないんですか」。橋本の追及ぶりに所谷の秘書はたじたじになった。
その日の夜、橋本は宿毛市の所谷の自宅に直接、電話をかけた。「農政会議の陳情に回答したい」。橋本の申し出を受け入れ、所谷は会談に応じることを決めた。
会談の日程は十月一日となった。しかし皮肉にも、この日を前に、すべてが決まってしまったのだ。
■「自分の番」■
九月二十八日、事態は一気に展開した。
発端は県農協連にかかってきた一本の電話だった。電話の主は自民党県連幹事長の土森。受けたのは所谷。
土森はこう言った。
「昨日、お話しした人物では自民党はまとまりません。乗るのはストップしてください」
その人物は、土森らが「最後の候補者」として擁立を考えた、リポートの作成者。前日、農協連は農政会議の小委員会で「自民党が乗るなら、うちも乗ろう」と確認していた。それが潰(つい)えた瞬間だった。
自民党県連にはもう持ち駒(ごま)がない。自民党の候補に乗るという農協組織の方針も、その前提が崩れた。受話器を握りながら、所谷は「自分の番」になったことを感じていた。
(文中敬称略、知事選取材班)
【写真】農協連が入るJA高知ビル。県農政との溝の深さが、やがて対立候補の擁立にまで発展する(高知市本町4丁目)
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