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まだ残暑の厳しかった九月初旬。地域支部巡りを終えた自民党県連の幹事長、土森正典は「もう二カ月早く、支部回りをしていたら…」とほぞをかんだ。
その言葉には、橋本県政への批判が予想以上に強いことへの驚きと、独自候補の擁立作業が遅々として進まないことへのいら立ちが入り交じっていた。
■与党関係が一変■
平成三年十二月の県知事選挙で、公認候補を立てて橋本大二郎に惨敗を喫した自民党は、“野党”転落からわずか二カ月後の四年二月、橋本と政策合意文書を締結。あっという間に“与党”に返り咲いた。
マスコミの失笑を買いながらも歩み寄ったのは、橋本が獲得した「三十一万票」の重み、当時から首相候補と目されていた実兄の橋本竜太郎の存在、与党に慣れきった体質からくる焦り―があった。
しかし、溝渕、中内の自民党県政時代の与党関係は一変。二期目を迎えた橋本は全国ニュース級の問題を次々と打ち上げ、そのたびに自民党、とりわけ県議団はほんろうされた。
県職員採用時の国籍条項の撤廃、コメの生産調整(減反)からの撤退、君が代批判、そして「非核港湾」の条例化――。
特に、ことし二月の県議会で最大の焦点になった「非核港湾」の問題は、ガイドライン関連法案を抱えていた政府・自民党本部の猛反発を招いた。
外務省に対し、外国艦船の核兵器不搭載を文書で証明するよう求める事務処理要綱案を提示した橋本は、自民党の賛同が得られないと見るや、同党の主張を「丸のみ」し、要綱案を修正した。
自民党から“造反者”が二人出れば、本会議で逆転可決を許してしまう。「知事は反安保勢力が勢いづくことを承知でやっているのか」といきりたつ議員。「知事がここまで譲歩したのに否決したら、支持者に説明ができない…」。四月に改選を控え、議員の心は揺れた。
結局、自民党が選んだ道は、否決ではなく、「継続審査」。一人の脱落者も出さないためには、その方法しか残っていなかった。
■「是々非々」で臨む■
四月の県議選が終わり、「非核港湾」化のための条例案は廃案になるが、新たな問題が表面化し、県庁を激震が襲った。元県海洋局次長による巨額焦げ付き事件だ。
四月三十日、「非核港湾」問題を機に態度を硬化させた自民党県議団は、橋本県政に「是々非々」で臨むことを決定。続く五月二日の党県連大会では、「知事選で独自候補を立てよ」との主戦論が沸騰。幹事長の依光隆夫(現県議会議長)は「われわれは与党と考えていたが、知事はそう受け止めていない。選挙対応を真剣に検討する」。
一方、県議会は五月十四日の臨時議会で、橋本に対する問責決議を賛成多数で可決した。知事の問責は県政史上初めてのことである。
県連大会で幹事長に就任した土森は、翌六月から独自候補の人選に着手。巨額焦げ付き事件調査特別委員会の委員長の重責をこなしながら、候補者探しに奔走した。本県出身の現役官僚や官庁OB、大物知事の秘書、弁護士、経済人…。何人もの名前が浮かんでは消え、時間だけが過ぎた。
「今月いっぱい候補者探しの努力を続けたい」
九月十六日、県議団の議員総会でそう報告した土森は三日後、島根県にいた。県出身の元大学長に会うためだ。「考えさせてください」。くしくも、橋本後援会の事務所開きが行われた日だった。
こうした自民党の独自候補擁立の動きに、熱い視線を注ぐグループがいた。「非核港湾」の条例化に象徴されるように、何事も理詰めで押し切ろうとする橋本。自民党県政時代を知る県議らと同様、その橋本の政治姿勢に不満を抱く県農協グループの主要メンバーたちだ。
(文中敬称略、知事選取材班)
【写真】「非核港湾」化のための県港湾施設管理条例の一部改正案は、自民党(起立)の賛成多数で「継続審査」に(3月15日、県議会)
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