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「もし、自分が消費者だったら、無農薬できれい、おいしい野菜が食べたいと思ったから」
細身でひょうひょうとした雰囲気の彼(53)は5年前、長岡郡本山町で本格的に農業を始めた。作る野菜は、無農薬・有機栽培。そう決めた理由は二つあった。
一つは30代に食の大切さを実感したこと。もう一つは、冒頭で紹介した消費者として感じた「高い市場性」だった。
高知市生まれ。18歳で上京し、バンドマンの仕事をしていたが、27歳でUターン。昼夜逆転生活を送った結果、肉体的にも精神的にも疲れていた。
帰高後は、音楽関係の仕事をしたり、学習塾を経営。しかし、慢性的な体調不良がずっと続く。平成に入ったころ、「おいしいものを食べたい」と、父親の生まれ故郷の同町で家庭菜園を始めた。
当時は、1、2週間に1回通っていた。自分たちで作った野菜は格段においしい。毎日、食べたくなり、高知市内にも小さな畑を借りた。
農業で食べていこうと決めたのは、物を作る楽しさがたまらなくなったからだ。親類は言った。「農業は、そんなに生易しいものではない」
だが、自信はあった。
妻も反対せず、ついてきてくれた。
◇
20アールの土地を借りた。周りに無農薬・有機栽培技術を教えてくれる人はいない。本を読み込み、実践。失敗を繰り返しながら学んだ。
約半年後、友人10人に宅配をしてみた。無農薬ながら見た目もいい、売れる野菜に、評判も上々。手応えを感じた。
販売方法は、宅配に決めていた。幼い時に見た行商のおばあさんと母親が楽しそうに談笑する姿が焼き付いていたからだ。
口コミで広がり、3カ月後に50人になった。
黒字が出たのは3年目。現在のお客さんは、高知市を中心に約240人に上る。
「農業の借金を農業で返せるめどが立った」。笑顔がはじけた。
◇
耕作面積は、2・3ヘクタールに広がり、年間で40品目を栽培している。
野菜は、妻が運転して届ける。午前9時半に家を出て、遅い時は午後7時を回る。
値段は市場価格より少し高い場合もあるが、みんな「野菜本来の味がする」「野菜が話しかけてくるみたい」「あなたの野菜は私の命」と喜んでくれる。
中には、シックハウス症候群に悩み、化学物質が含まれたものを一切受け付けない人もいる。休日には、ボランティアで作業を手伝いに来る人も出てきた。
「僕は、有機農家を支えてくれるお客さんに、勇気と元気をもらった。そのお返しをしたい」
自分の営農の成功を超える目的が芽生えた。
「有機農業には、福祉や林業、漁業も元気にする核になるような力があると思う」。環境問題、人の健康、過疎高齢化。社会が複雑になっていくほど果たす役割は大きいと思っている。
山あいの畑の中、軽乗用車が1台やっと通れるほどの舗装道を歩きながら彼は言った。
「昔は1000億円近かった県園芸連の売り上げが600億円台に落ちたと聞く。多くの農家の経営は苦しく、『何とかしたい』と、視察に来る。有機農業は十分、市場性があると思う。しかし、栽培技術やマーケティングの未整備がネックになっているんです」
知事選は投票に行く。「もちろん、無農薬・有機栽培をきちんと分かっている候補者にね」
【写真】無農薬栽培に取り組む農家。明るい未来を信じて(長岡郡本山町)
(知事選取材班)
11月21日付・高知新聞朝刊掲載
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