4月30日。高知市の電車通り沿いに構えた後援会の事務所開きで広田一氏は、自らに言い聞かせるような口調で切り出した。
「前回は私自身の力不足、努力不足で涙をのんだ。しかし、今の政治を見ると、どうしても選手交代、世代交代が必要だ。高知から新しい政治をつくるため、再挑戦を決意した」
民主と思惑一致
3年前の夏。広田氏は2期目途中だった県議のバッジを外し、自民党を離党。無所属で参院選に立った。決断の背景にあったのは、自民党現職の田村公平氏と橋本大二郎知事の“確執”だった。
広田氏は知事の強い要請と全面支援を受けて選挙戦に臨んだが、結果は11万2000余票を集めながらも「小泉自民党」にはね返された。
「出馬を決めたころは森喜朗前首相が不人気の極み。自民党員だと口にするのもはばかられる状況だったのに…」。広田氏を支え続ける陣営関係者は、小泉内閣の誕生が想定外だったと悔やむ。
それから3年。国政への思いを持ち続けていた広田氏と、県内の基盤確立へ足掛かりをつくりたい民主党県連の思惑が混じり合う。
公認か推薦かの曲折は「幅広い政治勢力の結集」にこだわった広田氏の意向を同党県連が受け入れ、推薦で決着した。
3月6日の出馬表明以降、県内各地で精力的に街頭演説を展開している広田氏。意を決しての再挑戦に「愚直に自分の理念と政策を訴えるしかない」と強調する。
「不関与許さぬ」
広田選対は母校・高知高校のOBらが名を連ねる後援会と、民主党、連合の3本立て。このうち公認候補並みの支援態勢で臨む同党県連は、自らの真価が問われている。
昨年の衆院選で同党県連は、3小選挙区で「自公協力」の前に苦杯をなめたものの、比例票は自民党に肉薄。2大政党化に向けて一定の足場を築いた。
だが、その勢いも昨今の年金問題で帳消しになった感がある。民主党県連の武内則男幹事長(高知市議)は「真に政権交代可能な政党になれるか、正念場の戦いだ」。
一方の連合高知は、一枚岩で臨めない。足達秀夫会長は「小泉政権は財政、経済、雇用政策で失政を重ねた。政権を代えるしかない」と語気を強めるものの、社民、新社会両党の推薦候補擁立で労組票は昨年の衆院選同様、またも分裂する。
旧社会党ブロックが糾合できない情勢には広田氏も顔を曇らせたが、そもそも広田氏の政治スタンス自体が特定の政党依存では割り切れない。
広田氏は今回、公明党県本部にも推薦願を出した。同党とは県議初当選時からつながりがあり、3年前も実質的な支援を受けている。国政の構図から「自公」のパイプを分断するのは容易ではないが、どこまでくさびを打ち込めるか。
さらに橋本知事との“距離感”も見逃せない。広田氏の支持者は、特に郡部で知事の草の根支持層と重複。知事は自らの言動で、自民党現職の森下博之氏=1期=と広田氏のどちらも支援しない「中立」を宣言する羽目になったが、広田陣営には「3年前に担ぎ出した責任がある。知事の“不関与”は許さない」とする声も少なくない。
公明党と橋本知事との「近さ」。それは広田氏の言う「幅広い勢力結集」の成否の鍵を握る。
【写真】後援会の事務所開きで国政への思いを訴える広田氏(4月30日、高知市南はりまや町1丁目)
(参院選取材班)
2004年5月22日朝刊掲載
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