14年10月20日。その夜開票された高知市長選で、松尾徹人は3選を果たした。選挙戦は危なげない展開で推移したが、松尾には得票数(6万7980票)に不満が残った。
10万票は欲しい、と松尾はかねて思っていた。10万票という数字には、〈橋本大二郎が過去の知事選で獲得した高知市分の得票以上〉という意味合いがある。
【写真】「激流」に巻き込まれたその日、松尾前高知市長=左端=の胸中は…(9月5日夜・高知市内の飲食店前)
4年後は…
「今聞かれれば、市政運営のことで頭がいっぱいと答えざるを得ない」
高知市議会6月定例会の質問戦。自民党市議から知事選出馬の水を向けられた松尾は、この答弁に、控えめながらも県政運営への意欲をにじませた。むろん、これには反応を探る意味合いも込めていた。
橋本の政治手法は、県民との直結を志向する。頭越しにされるのは県議会ばかりでもない。市町村の首長もまた、ほぞをかむことが多い。一方、庁内人事でも明らかなミスが顕著になったとの風評が、お堀を越えて伝わってくる。
そんな県庁をみやる松尾は〈知事もさすがに5期目はないだろうが、4年後は自分も60歳。チャンスはないのかも。(3年知事選で出馬要請を受けていた)あの時、出馬を断念した自分が悔やまれる〉―そう思い巡らせる半面、こうも考えていた。〈もうあの轍(てつ)は踏みたくない。ただそうかといって、負ける選挙もしたくない…〉
一方の橋本は、既に6月半ばから県民参加の公約づくりと称して地域回りを始めた。じりじりとした気分で夏をやり過ごす松尾。
その気分を払いのけるように、7月23日夜の川田拓助・元連合高知会長(故人)を偲(しの)ぶ会の会場には、各テーブルを回る松尾の姿があった。川田は松尾を最初から支えた一人。心定まらぬ松尾を、川田の遺影が見つめていた。
「9月5日」
日の暮れが早まった9月5日。夕暮れの下、市内の飲食店内へ5人の人影が消えていった。松尾もそこに加わった。
松尾のほかには懇意な高知市議と県庁OBがそれぞれ2人、それに県議の依光隆夫。張り詰めた空気の中、ビールグラスへ口をつけるのもそこそこに、依光が「笠文書」を取り出して見せた。
うわさを耳にしたのはほんの2、3日前。依光は裏金証言の文書を県議会で公にして橋本を追及すると言う。松尾にすれば、出馬のきっかけは欲しいが、そこにわが身を置くわけにはいかない。依光らと接触すること自体がはばかられた。
だが、松尾はためらいつつもその紙片を手に取った。そして、書かれてある内容を目に焼き付けた。“激流”に巻き込まれた瞬間だった。
か細かった反橋本の水脈が、いつしかごうごうとうなりを立て始めていた。流れは関係者さえ制御不能な状態にして「目標」へと導いていく。
4日後の9日。文書を書いた笠誠一本人と笠に近い土木建設会社社長の横矢忠志、それに依光らが、市長室まで出向いて出馬要請するという話が浮上する。前夜に集まった際、にわかにそんな展開が模索された。
松尾は当然、その申し入れを断った。その時間帯には既定の予定も入っている。マスコミの動きも気になった。が、松尾は結局その夜、笠の投宿先へ足を運ぶ。「どうしても」と迫る依光らの要請を断り切れなかった。
松尾の「やる気」を一定確かめた依光たちは、詰めの作業を急がねばならなかった。
(文中敬称略・知事選取材班)
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