国の在り方を問う’05衆院選が争点、焦点の定まらないまま、最終盤を迎えた。精神病理学者として、ノンフィクション作家として幅広い視点から社会の病理を問い続けている関西学院大学の野田正彰教授(高知市出身)に、現在の政治状況や国民心理の観点から「この国の今」を語ってもらった。(本紙衆院選取材班)
目標やビジョンを持って政治家になった人は近年、日本に極めて少なくなった。親が死んだ後、後援会が担いで、2世、3世議員になる。選挙基盤が世襲され、政治の私物化が進む。
そういう人間の中でどういうことが起きるか。「自己の偽造」です。自分はもともと政治に関心があったんだと物語が偽造される。
小泉首相は一言で言うと「空虚」。政策だけじゃなく、生きてきた姿勢として。ポーズだけで生きている。過剰に力んだ話しぶりにもそれは表れている。歌舞伎でポーズを取る「見得(みえ)切り」と同じ。皆が拍手し、本人も陶酔する。
彼は厚生大臣の時に薬害エイズについてもハンセン病に対しても何もしていない。だがいつの間にか、ハンセン病の理解者であったとすり替わっている。外交においてもビジョンはない。中曽根康弘のような国家主義者は、国家主義者なるがゆえにアジアの中での日本を考えたが、小泉にはそれもない。理解する力がない。
彼は短いフレーズを繰り返すが、あれは長い文脈を短くしているのではない。短い言葉、それだけだ。
■無力感と思考停止
今の政治状況の背景には、社会の大きな動揺がある。特にアジアにおいての動揺の中で「選択の停止」をしている。このまま、まあまあやっていける、と思っている。
しかし、これは本当の自信ではなく、すごく不安でもある。中国の軍事力、経済状況、北朝鮮の核の問題…。不安な場合は本来、相手とちゃんと話し、互いの緊張を解きながら共存していくべきだが、それをしない。アジアの人のことも考えないし、年間3万5000人もの人が自殺しているのに身近な人たちのことでさえ考えない。
この思考停止を生んでいるものは「無力感」です。戦争を反省することなしに経済成長にまい進した。結局、それだけだった。カネをばらまいたけど、国際的には評価も尊敬もされていない。国連安保理常任理事国に入りたいと言ったら、何のためにと問い返された。それに反発することもできない。今まで確かに努力はしてきたけど、何に向かっての努力だったか、反省する力がない。
70年安保闘争の後、徹底してたたかれた団塊の世代は、何の政治的発言もせず、会社人間になっていった。その子どもたちは摩擦を避け、周囲に適応することだけが巧みになった。自分でものを考えるということが奪われてきた。若者の意識調査にもはっきり表れている。
政治システムにおいても死票がたくさん出る小選挙区制度が無力感を広げている。アメリカも二大政党だが、州政府があり、政治参加の距離は短い。分権もなしに、二大政党こそが健全な政治だとだました。
今、生活のあらゆる部分に「うそ」が蔓延(まんえん)しているのではないか。日本社会の大きな病理は「虚仮(こけ)」。表と裏で実相が違っている。うそに対し非常に無力になり、どうしようもなくなってきている状況。勤務実体がない会社から給料をもらっておいて「人生いろいろ」と首相が開き直る。虚仮への歯止めがなくなった。
たくさんの中高年が生活に行き詰まり、死んでいる。それなのに一方では豊かな社会と言われている。うそです。小泉政権でも膨大な赤字が生まれているのに、赤字を減らしているんだと言っている。うそです。イラク戦争の大義もうそだし、最大のうそは「自民党をぶっ壊す」。与党の党首が自分の権力基盤である党を壊すと称する。
経済団体も、自由な競争が正義だと主張しながら不正を維持している。政治だけでなく、それぞれの人がうそで生きている。政治にはうそがいっぱいあるからそれに敏感でないといけないのに、そこがぶっ壊れ、それでいいんだ、となった。
■むき出しの暴力
4つの座標軸で私たちの生活を見てみる。
まず、生活に重要な影響を及ぼす政治。そこでは政治参加しやすいほど優れており、距離が遠くなるほど、人は無力感を持つ。国家が巨大になればなるほど地方自治がしっかりしていないといけない。
次に経済の軸。自分が生きる糧が自分の労働によって得られる社会がいい社会。一部の人間が収奪したり、失業者が多い社会は劣っている。
3番目に感情生活。豊かなコミュニケーションと感情交流ができている社会が望ましい。
さらに文化の軸。人類が築いてきた文化を日々、享受できる時間を持っている社会が望ましい。ヨーロッパの戦後社会は日本に比べ、それらが非常に高い。
日本でも80年代、生活大国にならないといけないと言われたし、ワークシェアリングも言われた。しかし今どうですか。ものの豊かさより心の豊かさとか、弱者に対して優しい社会だとか、そんなの全部、吹っ飛んでしまった。
競争社会がいい社会と言われ、だまされている。競争、競争と言っているのは利権で生きてきた人たち。金融の焦げ付きもごまかし、大きな資産を引き継いできた人たちが「自由主義」って言っている。とんでもないことです。自由主義の理念から言うと、まず公正な社会システムがいる。その片面を全部置いておいて、自由競争だなんて言うのは、むき出しの暴力です。
勝ち組は、社会的にうまくいかない子どもたちが不満を持っていることに何の優しさもない。それが自分たちの社会のツケという自覚もない。それで、問題を起こした子どもは厳罰にすればいいと言っている。
自己改革を奪われたまま、来てしまった。おかしなことには抵抗し、問題の矛盾を見つめる力を深めることが必要です。
政治によって、自分たちの生活、人生の何割かは影響を受けている。生活の1割近くは、市民活動などの形で政治にかかわっていかないといけない。日本の場合、市民の政治参加は1年のうち1%もないのでは。ヨーロッパやアメリカの市民とはすごい差がある。そういう中で民主主義は育ちません。
日本の近代で世界の文明に貢献するものは何もない。無力感、抑鬱(よくうつ)気分の中で、虚偽と賭けを煽(あお)る「見得切り選挙」が進行している。
【写真説明】世の中への「虚仮」の蔓延を憂う野田教授(京都市の自宅)
(総選挙取材班)=2005年9月9日付・高知新聞朝刊
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