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以来、「けんかの森下」を略した「モリケン」が周囲の呼称。野球に没頭する傍ら、潮江中3年の時は生徒会長も務め、高知西高時代は生徒会の会などで「よく議長の役目を仰せつかった」という。
法政大を経てサラリーマン生活を送った。が、「目的が見つからなくて、7年おった会社を辞めて転職してみたり…」。妻子と収入のない、厳しい生活も味わった。
政治への志は、10代のころから漠然とはあった。ただ、地盤(組織力)、看板(知名度)、かばん(資金)―と政治への皮肉も込めていわれる「三バン」とはまったく無縁だった。
「政治の道を歩むチャンスはそう回ってこないだろうと、半ばあきらめていたんだけど」
転機は、33歳で訪れた。「政治への近道は国会議員の秘書になること」と考え、いろいろ当たった末に「拾ってもらった」先が日本遺族会顧問だった故・徳永正利参院議員。「何にもなかった自分に“看板”だけ分けてもらった」
秘書生活は8年。地元からの県議選への出馬要請は「渡りに船だった」。帰郷し4期15年を県議として過ごし、6年前に舞台を国政に移した。
自分を売り込むことは得意でない。1期目の実績、自己評価を聞くと、「議員の評価は有権者が決めること。『森下橋』なんてものは、ありませんよ」とさらり。大風呂敷も広げない。
「年金やイラク問題のような国政レベルの争点になってはいないが、ふるさとの中山間地域の置かれた現状を、これでいいのか、と訴えていきたい」
7年前に亡くした母に代わり、「楽をさせてあげたい」人は、毎日を懸命に生きる人たち。
「モリケン」の生き方、少年時代から少しも揺らいでない。
【写真】「常に古里のことを考えながら政治活動をしていきたい」と話す森下さん
(6月28日付・高知新聞朝刊掲載)
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