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11月16日付・高知新聞朝刊
「高知・愛」のキャッチフレーズが似合いそうな、きらきらした目。「高知」を語りだすと、声がぐっと弾む。
昭和56年、県財政課長として自治省(現総務省)から高知県庁に出向。保健環境、総務両部長としてエイズ問題、上海列車事故と向き合った。通算6年5カ月の在任で、南国の風土に引き込まれた。
「人がよくて開けっ広げで。歴史的な雰囲気もあって。住めば住むほどいい」
県庁勤務を終えて東京へ戻らねばならなくなったとき、中学2年生だった長女が「高知に残りたい」と言いだした。学生寮に入れて残すと、長男と二男も姉をまね、高知市の中、高校へ。結局、松尾さん本人も高知市長で戻ってきた。
「家族みんなここが好きで。長男は東京の大学を卒業して、高知市役所に合格しました。私と妻は市内にローンで家を買いました。骨をうずめるつもりです」
橋本大二郎さんとは「年も同じだし、因縁を感じます」。ただ、「タイプは違う」。
「僕は山口生まれだし、田舎の男。自治省を選んだのも、地方の仕事がしたかったからです。地方が大切なんだって気持ちが、僕にはずっとある。高知を思う気持ちなら負けません」
橋本さんの任期満了が半年後に迫った5月以降、手紙や電話をもらうようになった。県経済が沈んでいる、県を変えてほしい、県庁の中が暗くなった、多選の弊害が出る…。
「とりわけ中山間の方の、切羽詰まった声に背中を押されました。自分のことを言っちゃいけないですけど、私自身も大きなリスク。それだけに、切羽詰まった決断、なんですよね。いちかばちかなんです」
出馬を決め、県内の中山間を回った。
「あらためて広いなあと。それと、高齢者ばっかりですもんね…。疲弊しきってますもんね…。なんとかしなきゃいかん」
本人自ら「コスプレ」と呼ぶ龍馬の衣装を着た姿でおなじみ。心の中にいる龍馬さんに、出馬のあいさつはしていない。
「勝った暁にと思っています。もし負けたら? 心外だなあ(笑い)、負けると思ってはできません。今の僕を龍馬に例えると? なんでしょうねえ、2度目の脱藩、ですかね」
市長時代、シネマコンプレックス(シネコン=複合映画館)建設の不許可や、三里地区へのエコ産業団地の計画などで批判を浴びた。
「シネコン不許可は、城下町を寂れさせたくない僕の信念だった。それは今でも変わりないけど、怒られて、つらかった。エコ団地は、申し訳ない気持ちでいっぱい。住民への説明不足です。反省してます」
出馬を決意したときの胸中は「よし、何くそ」。頼られ、推された「まじめな男」が、悩み抜いて勝負に出た。
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