|
||||
![]() ![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
|
土佐が生んだ幕末の英雄、坂本龍馬。欧米列強に脅かされていたわが国で、一介の浪人である龍馬が国(藩)の枠を超え、縦横無尽に動き回り、維新回天の扉を開きました。既成概念にとらわれない発想や自由で志高い生きざまは、今も多くのファンを引きつけてやみません。そんな龍馬の生涯や魅力を、高知新聞社の記事や写真、資料なども交えて紹介します。龍馬ニュース|坂本龍馬の部屋〜高知新聞社
【1960年代】竜馬の新しい写真見つかる表情もはっきり 高知に複写届く 長野県から 〜 1969年10月01日(水) 高知新聞
※注
写真は黒紋付、白ばかま、短ぐつに大小刀を落とし差しというスタイル。“土佐海援隊の白ばかま"をはいているところから、撮影したのは慶応3年(1867年)ごろの長崎だと推定されている。 寺田屋事件の際、竜馬と居合わせ、ヤリを使って、竜馬を守った長州藩士、三吉信蔵の孫になる長野県上田市大手町、医師、三吉俊蔵さんが所蔵していたもの。 三吉家には竜馬をはじめ、中岡慎太郎、木戸孝允、田中光顕ら志士の書簡が多数保存されていることから、去る3月、県史編さん委員会の吉田万作さんが調査に出かけた。その際、名刺版の黄ばんだこの写真を発見したが、三吉さんから、このほど複写した写真が同委員会に届けられたもの。 吉田さんや竜馬研究の権威、平尾道雄さんの話だと、これまで竜馬の写真は、単身像3枚、集団2枚の計5枚が発見されている。中には、今回の写真とポーズがよく似たものもあるが、不鮮明で、修正しているという。二人は「こんなに鮮明で出所のはっきりしているのは初めて。心労の余りやせこけて、どこかに“かげ"があり、きびしい時代に生きた竜馬の姿がしのばれ貴重だ」と言っている。 (原文の旧仮名遣い、旧漢字は直しています)
ここでご紹介しているのは一部の抜粋。携帯サイト「坂本龍馬の部屋」には、もっと詳しく掲載しています。ぜひ一度ご覧ください! >>「坂本龍馬の部屋」 トップへ
高知新聞HP|サイトマップ|プライバシーポリシー|ネット上の著作権|新聞購読|お問い合わせ
Copyright 2006 The Kochi Shimbun. All Rights Reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます。 すべての著作権は高知新聞社に帰属します。 |
|
|
|
|
| サイトマップ|プライバシーポリシー|ネット上の著作権|新聞購読|お問い合わせ |
|
|
| Copyright © 2006 The Kochi Shimbun. All Rights Reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます。 すべての著作権は高知新聞社に帰属します。 |
|
|