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「死を待つ報道」だった
高知赤十字病院の前には道路を挟んで小さな商店が並んでいる。中には古びたり、空き店舗になっている所もある。
「脳死」をめぐる数日間、そうした場所のいくつかをテレビ局や新聞社が借り上げた。ガラス戸には報道各社の名前を書いた紙がぺったりと張り出された。道端にはハイヤーや大型中継車がエンジンをかけたまま並んだ。病院のごみ箱には弁当の空き箱やジュースの空き缶が乱暴に詰め込まれ、携帯電話をかける記者たちが大勢出入りした。
「脳死」報道は祭りか、イベントのようだった。
■3つの報道合体
高知の女性の「脳死判定」では、マスコミの在り方が家族の憤りを招き、問題になった。あの日、家族は報道の何に怒ったのか。いま一度考えてみたい。
一つは「報道が始まった時期」だった。女性が病院に運ばれたのが二月二十二日深夜。家族が「脳死判定」に応じる承諾書に署名、なつ印したのは三日後の二十五日午後六時前だった。そのわずか一時間後に七時台のニュースで報道が始まっている。
報道は、記者が耳に挟んだからといって、ただちにできるものではない。信頼できる人への確認や裏付け取材が必要だ。現地入りに時間もかかる。つまり、情報が流れたのは家族が承諾書に署名する六時より、もっと前だった。早すぎる、と感じたのは当然だろう。
もう一つは「個人を特定されかけたこと」だった。本県の自治体の人口は、数百から数千人単位。おびただしい人が住む都会とは基本的条件が異なる。その狭い地域社会において、自宅や実家の周辺、友人、知人らに「人となり」を探る取材が行われた。
報道の中では「匿名」であっても、家族の意思を置き去りに地域社会での匿名性ははがされていった。
そしてもう一つ、「死を待ちわびるかのような報道」があった。ある全国紙は、女性が「脳死」に陥っていない段階で、こんな“予定表”を載せた。
「法に基づく脳死判定(一回目)」→六時間以上→「脳死判定(二回目)」→「死亡宣告」→「臓器摘出手術」→「死後の処理」→「お見送り」
別の全国紙は、同じような図に「今回終了した段階」を色分けして載せた。
文章や見出しには、「移植がようやく実現しそうな成り行きに期待感をにじませた」「『実現へ光か』かたずのむ」と、女性の死を期待するような文言がちりばめられた。この時、家族は最後の望みをつないでいたころだった。
「個人を特定する報道」や「早すぎる報道」、そして「死を期待するような報道」。何より家族を踏みにじったのは「死を期待するような報道」だったのではないか。三つの報道は単独ではなく、セットで行われている。全国から殺到したメディアが集中豪雨のような報道をしたことで、それぞれの特質はさらに強化され、全体として「死を待つかのような報道」が練り上げられていった。
私たち取材班も、個々の思いとは別にそれにのみ込まれ、やがて補完的な役割を担わされたように思う。
■パック・ジャーナリズム
高知市出身の評論家、野田正彰さん(京都造形芸術大教授)は、最新の評論集「気分の社会のなかで」(中央公論社)の中に「パック・ジャーナリズム」という評論を収めている。
パック・ジャーナリズムとは、新しい事件が起きるたびに極大化する物量報道を指す。そこにはジャーナリストとしての判断力も、独自の視点もなく、いかに大騒ぎするかという能力だけが問われる。国民の理性よりも、感情の興奮と消沈に依拠し、ピークを迎えると、飽きられないうちに次の話題に移っていく。
<このような行為は何かに似ていないか。明らかに快楽の生理に似ている。今日の報道は巨大社会が行う病的な性行為となっている。興奮し、自分の中の勝手なイメージをふくらませ、頂点に達して、突然に消沈していく>
「脳死報道」はまさしくパック・ジャーナリズムだったと言える。自分たちが予期した結末に向け、早く早く、今か今かとせき立てる。ピークは一例目の女性から摘出された心臓が、移植された人の胸で鼓動を打った時だった。その後の報道は潮が引くようにあっという間に消沈している。
現在、マスコミの間では、報道をいつから始めるのか、「二回目の脳死判定の終了後」か「それよりも前か」のみが論じられがちになっている。
しかし、本当の問題はそうしたタイミングの話ではなく、自分たちがどういう報道をしたのか、今後どうするのかという中身にある。少なくとも一例目以降の症例から浮かび上がる課題をきちんと検証し、「脳死」の問題を伝えることが、あの日非難を浴びたメディアの取るべき責任ではないだろうか。
(社会部取材班)
【写真】全国から集まった報道陣。「脳死」問題へのメディアの関心は急速に薄れている(平成11年2月27日正午すぎ、高知赤十字病院)
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