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迷い、悩む家族の姿
臓器移植法の施行後、国内で初めて、高知市の高知赤十字病院で行われた「脳死判定」と臓器提供から、二十八日で丸一年になる。
臓器を提供した女性については、救命治療や「脳死判定」の在り方をめぐり、多くの課題が提議されている。それらはどう検証されようとしているのか。この一年の厚生省やその研究班の検証経緯、「脳死」者からの臓器移植がどのような方向に進みつつあるのか、一年がたとうとする今、記しておきたい。
「脳死」とは、脳だけが機能を完全に失っていて、ほかの臓器や身体組織はまだ生きている状態。生と死の“境”は極めてあいまいだ。それゆえに「脳死」の人の体から、別の人に移植するために臓器を摘出することが果たして許されるのかどうか、激しい論議がなされている。
このため九年に施行された臓器移植法は、患者本人の自己決定と家族の同意があれば臓器提供できるようにした一方で、そうしたくない人の権利も尊重するという際どいバランスを取るものとなっている。
同法に基づく臓器摘出は高知、東京、宮城、大阪と半年で四例が立て続けに行われ、その後はしばらく途絶えている。しかし、表には見えなくても、全国のどこかの病院で「脳死」に陥る人がいて、それを見守る周囲の人たちの悲しみと苦悩がある。
■娘の意思
昨年十月。中日新聞がある連載を行った。「娘が脳死になった―17歳ドナーの真実」。その夏の終わりに交通事故に遭った、愛知県内の女子高生の母親の言葉をつづったものだった。
女子高生は八月下旬に事故に遭い、藤田保健衛生大病院で脳低体温療法などの救命治療を受けたが、そのかいなく「脳死状態」に陥った。母親は娘が持っていた「臓器提供意思表示カード」を見つけた後の苦悩を切々と語っている。
<臓器移植? えっ心臓? 真里(=娘の仮名)の言葉が一瞬でよみがえり、お父さんの声が遠くなった。あの夜、「お母さん、まじにやるからね。いいね」と言った言葉は本当だったんだ。真里の心臓が取られちゃう。足はがたがた震え、内臓がうーとのどから飛び出しそうに息苦しくなって>
その一方で、母親は自分たちが反対したら<あの子の意思、あの子の心はどうなるんだって考えずにはいられませんでした>と苦悩する。
<全部カードのせい。こんなもの、持っとっちゃいかん。もう格闘ですよ。ドナーカードと、私ら家族の闘いでした。たかが紙切れ。だけどこれ一枚、金の延べ棒より重いって思いました>
家族は<娘の意思を尊重しようと腹を決め><自責の念を一生背負っていくつもり>で、脳死判定に応じる。承諾書にサインする父親の手は小刻みに震え、母親は「ごめんね」と心の中でつぶやく。
少しでもそばにいたい。同じ空気を吸いたい。家族はずっと、心の底で生への希望を捨てていない。ほっぺたを擦り合わせ、キスする。温かい体。最後まで「やめて」という言葉が出かかった。「家族は移植に好意的」という記事に、本心は違うのにと思った。
結局、女子高生は鼓膜が損傷していて基準通りの検査ができず、「脳死判定」は途中で中止となる。
女子高生は事故から八日後に亡くなり、心停止後に腎臓(じんぞう)が一つ提供された。
■希薄な存在に
二月の高知では、マスコミが殺到し、家族の看取(みと)りの時間を踏みにじり、その憤りを招いた。
二例目以降、マスコミは家族への接触を避けるようになった。その過程で、臓器を提供する側の人々の姿はメディアの中で希薄になり、その苦悩や迷いが見えにくくなっている。メディア自身が招いた大きな課題である。
愛知の家族を取材した中日新聞社社会部の記者は「偶然に家族から電話をもらう機会があり、話を伺うようになりました。報道の在り方として論議はあるけれども、臓器提供の決断をした娘に誇りを見いだす気持ち、見送る者としての苦悩など、単純ではない家族の胸の内を伝える必要を感じた」と話す。
「家族は移植に前向きであろう、と判断した病院やコーディネーターの判断は間違っていなかったと思う。だけど、他人の言葉であらためて『移植に好意的』と断言されると、それだけではないのに、という複雑な思いがある。迷い、矛盾することもあるのが人間と思う。その姿を伝えたい」
メディアの一端に現れた家族の実像だ。
(社会部取材班)
【写真】マスコミが殺到し、混乱した“一例目”から、まもなく1年になる(平成11年2月25日夜、高知市の高知赤十字病院)
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