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【交通量低迷】
明暗分けた列車と車
ピッピーーッ、朝のプラットホームに列車の発車を告げる笛が鳴り響く。JR高松駅八番ホーム。午前七時三十七分岡山行きのマリンライナー8号が発車した。制服の高校生やサラリーマン、若いOLらで列車内はほぼ満員。その中に広告代理店の役員、図子準二さん(53)=高松市西宝町=の姿が今日も見える。
「岡山はすぐの“お隣りさん”。『海を渡る』という感覚はもうないですねえ。最近は列車での一時間が長く感じられ、もっとスピードアップできないものかと思うくらいです」
瀬戸大橋開通は六十三年四月十日。その二カ月後、図子さんは高松市の本社勤務から岡山支社への転勤が決まった。以来十年、高松市の自宅から岡山市の支社へJR瀬戸大橋線で列車通勤。「この十年、うちの会社が岡山でやった仕事も大幅に増えた。瀬戸内の海は春にはよく霧が出て連絡船が欠航になったものですが…」
瀬戸大橋のすぐたもとの町、宇多津町にある香川短期大学二回生の坂本美由紀さん(19)=岡山市藤田町=は、図子さんとは逆に岡山市からの列車通学。授業以外にも日曜日には宇多津町の新しい店や映画館に来ることも多いという。「デパートやおしゃれな店は岡山の方が多いけど、こっち(香川)には友達が大勢いるからショッピングや遊んだりする時はJRで来るんです」
今春、同短大を卒業して高松市内の洋服店に就職した楠孝太郎さん(20)=高松市屋島中町=も在学中の二年間、“対岸”の玉野市から列車通学した。「学校近くでアパートを借りたら、月四、五万円くらい。定期で通った方がずっと安かった」。二人とも連絡船時代のことは「よく知らない」。瀬戸大橋は「そこにあって当たり前」という生活感の中で育った。
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JR瀬戸大橋線は身近な生活の足としてすっかり定着した。JR四国によると、同線が開業した年の五月は通勤・通学定期の利用者は計四百七十四人。翌平成元年には一千百五十一人に急増し、平成五年に二千人台に達した後も順調に増加を続け、昨年五月実績では通勤一千二十五人、通学一千七百四十五人の計二千七百七十人。開業直後の約六倍にまで増えている。
■車は予測の6割
一方、車の交通量は列車とは対照的に当初予測を大幅に下回った。本州四国連絡橋公団が予測した交通量は一日平均約二万五千台だったが、実際には開通ブームに沸いた昭和六十三年度でも予測の半分以下の一万八百二十三台。その後、四国内や山陽方面の高速道整備とともに増加したものの、八年度実績の一万五千二百十一台は当初予測の六割程度にすぎない。
本四公団は今年四月、当面五年間に限って二割引料金の実施に踏み切った。割高感を和らげ、利用増とその定着化を図る「乗り慣れ効果」が狙いだ。
同公団は「瀬戸大橋から明石へ、交通量はある程度はシフトするでしょうが、明石開通の影響で瀬戸大橋の通行量が減るとは見ていない。従来通りの増加傾向と料金の割引効果でシフトする量は十分にカバーできるのではないか」と予測するのだが…。
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瀬戸大橋開通から満十年。「結ぶ」第三部では、さまざな期待を託した「夢の架け橋」が抱える課題や瀬戸内の流通再編、本県に及んだ物流の変化、四国観光への影響などの架橋効果を検証。激化する都市間競争を通して3架橋時代への展望を探る。
【写真】高松−岡山間の生活の足として定着したJR四国の「マリンライナー」。通勤・通学の利用は開通10年で約6倍に増えた(JR高松駅)
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