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【再燃】
促進議連が旗降ろす
「明石−鳴門ルートを支援し、出資金まで出している高知に申し訳ないという気持ちが常にあった」
こう振り返るのは、徳島県議会の鳴門神戸架橋促進特別委員会の委員長を務めていた中西文夫(65)。その中西が強調するのが、元首相の三木武夫が鉄道併用橋に見せた執念だ。
「三木さんの気迫にはすごいものがあった。計画変更を説明しようとする役人を怒鳴って追い返した」
昭和五十三年四月二十五日、高知県議会の明石・鳴門併設橋対策委員会の正副委員長らが東京・南平台の私邸に三木を訪ねた。引率したのは県選出の自民党衆院議員で三木派の重鎮、大西正男(故人、翌五十四年郵政相に就任)。
県議会対策委副委員長として同席した栗原透は「三木さんはあちこちに電話をかけ、指示をしていた」と回想する。
「いろいろ手続きを踏んで決まったことだから、簡単に(道路単独橋に)変更されるものではない」
三木のその言葉通り、十月に鉄道建設審議会が開かれたが、計画変更問題は議題にも上らなかった。
十二月七日に大平内閣が発足し、運輸相には三木派の森山欽司が就任した。一週間後、運輸省を訪ねた大西らに、盟友の森山は「既定の方針を尊重したい」と述べ、本県の主張に理解を示した。
明けて五十四年一月、運輸、建設両省は鉄道併用橋で建設することで合意。大鳴門橋の上部工の発注保留が十カ月ぶりに解除された。
■紀淡トンネル浮上
大鳴門橋の工事は着々と進んだが、肝心の明石海峡大橋は依然として着工のめどさえ立っていなかった。
「明石海峡大橋を道路単独橋に計画変更し、早期着工を図りたい」
しびれを切らした兵庫県と神戸市は五十五年八月、高知を含む六府県市でつくる本土・淡路・四国連絡橋架設促進協議会の席で、@早期着工のため五十八年度から始まる国の第九次道路整備五カ年計画に、明石海峡大橋の建設計画を組み込んでもらうA鉄道は海底トンネル方式として残す―ことを正式に提案した。
国鉄の累積赤字は悪化の一途をたどっていた。鉄道の取り付け地区となる神戸市垂水区の用地取得が難しく、鉄道併用橋に固執していては着工の見通しが立たない―というのが主な理由だった。
「鉄道併用橋は技術的に可能だが、むしろ明石側の取り付けが問題」
以前、高知県知事の溝渕増巳に話していた日本鉄道建設公団幹部の指摘が現実のものとなった。
兵庫、大阪、徳島、高知の四府県の自民党国会議員で構成する「明石・鳴門架橋促進議員連盟」の会長は、兵庫県淡路島出身の原健三郎(後の衆院議長)。
この年の七月に発足した鈴木内閣で国土庁長官に就任した原は八月二十日、国土審議会四国地方特別委員会の席で、地元兵庫県の意向通り「明石海峡大橋は道路単独橋とし、新幹線は海底トンネルにしたい」と表明した。
トンネルのルートは未定だったが、関西国際空港絡みで和歌山と淡路島を結ぶ紀淡海峡トンネル構想が浮上していた。
そして九月十八日、明石・鳴門架橋促進議員連盟が都内のホテルで会合を開き、明石海峡大橋の道路単独化を柱とする要望決議案を全会一致で採択する。
席上、県選出議員の大西と知事の中内力は、鉄道併用橋を前提に地元負担金を出してきた高知県の立場に理解を求めたが、三木らの援護射撃もこれまで。促進議連は鉄道計画を併用橋からトンネルに切り替えた。この時点で昭和三十三年以来掲げてきた「県是」は事実上、崩れ去ったのだが…。
(文中敬称略)
【写真】鳴門海峡上空から見た大鳴門橋。“政治攻勢”で鉄道併用橋で建設されたが、肝心 の明石海峡大橋は道路単独橋に変更された
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