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第2部 「県是」の歩み<3>
【決議】

世は鉄道花形の時代

 「本州⇔淡路島⇔四国 夢のかけ橋 実現へ」

 昭和三十二年六月十日付の高知新聞に大見出しとともに明石、鳴門両海峡橋のイラストが掲載された。

 <国鉄建設局は本州、淡路島、四国を結ぶ夢のかけ橋「本州・四国連絡鉄道」の建設計画を進めているが、このほど明石、鳴門両海峡をひとまたぎする長大橋の原案が出来上がった>

 その記事によると、明石海峡橋は全長四千六百五十メートル、鳴門海峡橋は一千四百三十メートル。当時の計画はつり橋ではなかったが、両橋とも中央を複線鉄道が走り、その両側に各二車線の自動車道、さらに外側に歩道を設ける計画だった。

 手がきながら橋のイラストが描かれ、「基本的構想はもう変わらないだろう」(国鉄建設課長)という談話付きの記事は、県や県議会に、架橋による「本州・四国連絡鉄道」を強く印象付けたに違いない。

 翌三十三年七月五日、高知県議会は「鳴門−明石鉄道早期建設促進に関する決議」を全会一致で可決する。

 <本州経済圏との直結を図り、四国地方の地域経済の後進性を克服し、産業、経済、文化の発展を促進するため、鳴門―明石鉄道の建設は、四国地方四百二十万住民の悲願である。よってこの早期実現に格別の努力を払われるよう強く要望する>

 当時の県議会議長、仮谷忠男(故人)は後に三木内閣で建設相となり、第一次石油ショックで全面凍結となった本四架橋の建設を、いわゆる「一ルート三橋方式」で解除する舞台回しの役を果たす。

 百字余りの短い決議文だが、そこには戦前から鉄道に熱い思いを寄せる本県の切なる願いが込められていた。

 三十三年当時、土讃線はまだ窪川止まり。前年の四月、窪江線(予土線)と中村線が建設線に昇格、東部循環線は調査線への格上げが決まったばかりで、四国をぐるりと循環する鉄道の建設促進は本県の悲願だった。

 ■関西と直結を

 三十年十二月に公選四代目の高知県知事に就任、五期二十年間務めた溝渕増巳(故人)は、後に回顧録「県政二十年」(高知新聞社刊)でこう述懐している。

 「距離的にも三角形の一辺を通るから近い。ただ、高知県の目的は鉄道併設だ。これを機会に遅れている東回りの循環線を一気に完成させ、同時に宿毛から東京行き列車を発車させよう」

 「三角形の一辺」とは言うまでもなく、高知から室戸回りで徳島、淡路島を経由し、京阪神に直結するルートを指す。

 「本土経済圏、特に関西経済圏と直結したい。その一念でした。当時、キュウリを主力とする園芸産品は貨物列車で関西、関東へ輸送していた。貨車取りが難しくて、駅の貨物係は神様やった。鉄道輸送が主力の時代ですから」

 昭和三十五年に設置された県開発総室に配属されて以来、本四架橋問題を長く担当した県庁OB、安部幸夫(72)=高知市本宮町=はこう振り返る。

 橋で四国と本土が直結すれば、東京の築地市場で「三日売り」だった野菜が一日早く売れる。「二日売り」になれば当然、鮮度が増す。鮮度が増せば高値で売れる。農家の所得が増えれば県経済全体が潤う―というわけだ。

 わが国初の高速道路、名神高速道・栗東−尼崎間が開通したのは昭和三十八年。地方はまだ鉄道が花形の時代だった。本県の「県是」(県の方針)、鉄道併用橋の建設促進決議はこうした時代背景の中で可決された。

                                   (文中敬称略)

 【写真】国鉄の架橋計画を報じた昭和32年6月10日付の高知新聞


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