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県内冷え込み山間部に冬の足音 伊野町でショウガ収穫進む
青空の下、「ふれあい高新」の舞台の吾川郡伊野町ではショウガの収穫が進む。同町沖田の国道33号沿いに広がる深田祐治さん(55)方の畑では、人も雇って収穫に大わらわ。丸々と太ったショウガを掘り出し、軍手をはめた手で一つ一つ丁寧に土をこそげ落としていく。
夏場に雨が多かったことし、例年ならショウガに水をかけるはずが、この夏は逆に排水に気をもんだ。「大雨の度に、もう夜通しポンプで畑の水をくみ出しました」と奥さんの光代さん(52)。そんな苦労のかいがあって、出来は上々。畑に並んだ新ショウガが、晩秋の日差しにつややかに輝いた。 【写真】ぐんと秋めいた朝。田園ではショウガの収穫が進む(伊野町沖田)
伝説によると戦国時代、成山には夫と子供を実兄の長宗我部元親に殺された養甫(ようほ)、同じく父親を討たれた安芸家友が暮らしていた。ある日、旅人の新之丞が突然の病気で苦しんでいるところを養甫らが介抱、三人は協力して色付きの和紙を作り出す。数年後、新之丞は伊予国・日向谷村に帰国することになったが、仏ケ峠まで見送った家友が紙すき技術が他国へ漏れるのを恐れ、新之丞を斬殺(ざんさつ)してしまった―という。 北村さんは神谷小校長を務めていた約十年前、校区の成山に伝わる伝説に興味を持った。豊臣秀吉の時代に作成された土地台帳「長宗我部地検帳」には養甫の所有地が確かに記載されている。また家友が後に山内一豊に七色紙を贈って喜ばれ、成山村と伊野村は「御用紙すき」として保護を受けてきた歴史もある。 しかし新之丞の素性は謎(なぞ)に包まれたままで、北村さんは越前で「紙すき三兄弟」の一人と言われた「越前新之丞」などについても関係者に取材。また「新之丞は修行僧ではないか」と推理、旧日向谷村(現愛媛県日吉村)を訪ねて、「彦兵衛」という人物の修行名が新之丞ではなかったか、との仮説を組み立てた。 成山周辺の調査も度々行い、養甫の子供らが討ち死にした仁淀川沿いの鎌田城を望む山中に注目。「村人らが川石を拾っては養甫に届けた」との言い伝えを基にその川石を探したところ、昨年五月、標高四百メートル以上の森の中で、明らかに水流で丸く削られた数百個の石を掘り当てている。これらの調査結果は同年十一月、著作「紙の町・伊野に七色紙誕生の謎を追う」にまとめられた。 北村さんは「『和紙の始祖』という言い伝えは全国に多いが、成山ほど、文献と伝説がぴったり合う土地は珍しい。また仏ケ峠という人里離れた場所から考えて、家友は『斬った』と称して新之丞を逃がしたのではないでしょうか」と想像を膨らませている。 【写真】北村唯吉さん(中央)と、養甫のために村人が運んだ可能性がある川石(伊野町の山中)
同教室には障害や病気で外出しづらくなっている二十−八十歳代の人々が参加。月二回、手先を使う園芸や手芸作業のほか、買い物や公共交通機関の使い方といったリハビリに取り組んでいる。 機織りは今年六月から。講師の染織家、山本真寿さん(52)=高知市瀬戸南町一丁目=が「ぜひ伊野らしいものに」と提案。紙の織物があるのだから不織布を使った織物もできるはず、と考え付いた。 縦糸の絹に細長くした不織布を横から通し、機をシュッシュッ。足の力が衰えた人は手だけで、目の不自由な人は手の感触で器用に織り上げていく。だれもが「ただの糸や不織布が布になっていくのが、すごく楽しみ」「面白くてやめられません」と満足げだ。 七彩織で作った袋や壁掛けが同町内のギャラリーなどに展示されているほか、七日に同センターで開かれる「伊野町健康まつり」でも販売。同教室にかかわる保健婦の吉岡真紀さん(27)は「品物が売れることが大きな喜び、生きがいになっているようです。いずれは教室ではなく、自主的なサークルになってほしい」と話している。 【写真】ピンクや青といった色とりどりの不織布を使い、「土佐七彩織」を織り上げていく教室生たち(伊野町のすこやかセンター伊野)
「ふれあい高新」開幕 伊野町に移動編集局
オープニングセレモニーは同センター玄関で行われ、高知新聞社の岩井寿夫社長が「日ごろ感じておられることなどをお聞きし、今後の紙面作りの参考にしたい。『県民と共に歩むパートナー』を標ぼうしてきた私たちは、地域との結びつきをさらに強く、深くしたい」とあいさつした。 続いて地元を代表して伊藤建男町長が「ふれあい高新の会場となることは伊野町にとってもうれしい。地域に根ざした密着取材で、地域の声を吸い上げてもらいたい」と述べた。この後、伊藤町長、西川かず子同町議会議長、岩井社長がテープカットして開幕した。 移動編集局では、パソコンを使ったミニ号外「電子速報」が発行されるほか、新聞の原版となるフィルムや刷版(さっぱん)などを展示。また昭和五十年代以後の県内外の主な出来事を計三十二点の写真で振り返る「報道写真展」も始まった。 ふれあい高新の期間中、紙すき体験バスツアーや近森病院の石川誠医師による健康講演会、フルート奏者の安藤千織さんらによる「すこやかミニコンサート」、地域住民と高知新聞社幹部が意見交換する「夜なべ談議」など多彩な催しが展開される。 【写真】“紙と水の町伊野町”を舞台に、テープカットで始まった第6回移動高知新聞「ふれあい高新IN伊野」(伊野町駅南町の「すこやかセンター伊野」)
同賞は日本産業デザイン振興会によるわが国唯一の公的デザイン賞で、工業製品と施設が対象。本年度も二千百十点の応募の中から九百四十九点が選ばれている。 同社の代表取締役、加藤俊男さん(52)は東京で家電製品などのデザイナーをしていたが、昭和五十一年に健康上の理由で帰高を余儀なくされる。「高知でもデザインの仕事を」と素材を探していた時、出合ったのが土佐和紙だった。 これまで紙に携わった経験はなく、ゼロからのスタート。県内の技術者らに基本的なことから教わり、六十一年に「カルタ(CARTA、イタリア語で紙の意味)」と名付けた照明器具を製造し始めた。コンセプトは「最も紙らしくないものにしよう。それでも“紙の味”は残るはず」。「カルタ」は六十三年に家具インテリア部門でグッドデザイン大賞に選ばれ、人気商品となっていく。 最新商品が「おやすみカルタ」。十四センチ四方で中央部が丸くふくらんだ和紙に、商品として初めて図柄を透かした。「高齢の方にも使ってもらいたくて、童謡や田舎の風景をデザインした。ただの常夜灯ではなく、ポッと灯りがついた時に昔を懐かしく思ったり、郷愁を感じてもらえたら」と加藤さん。 今回の受賞は、立体和紙製造の高い技術や美しさ、質感の良さなどが認められた。加藤さんは「和紙の技術、情報、そして人との出会い。それをくれたのが伊野という町。伊野の伝統が生み出したカルタが、二度も賞をいただいて光栄です」と心からの笑顔を見せた。 【写真】「月の砂漠」「桂浜の龍馬像」が温かみある光に浮かぶ「おやすみカルタ」。加藤さんも「伊野の伝統が生んだ商品が認められた」と喜ぶ(伊野町勝賀瀬の工場)
新之丞が殺されたという成山仏ケ峠には記念碑があり、町は昨年「成山和紙の里公園」として整備。九年には多目的施設「七色の里」も完成させた。 ハイキングは、そんな伝説や風物をもっと知ってもらおうと、地元住民や町、県土佐農業改良普及センターなどが実行委員会をつくり昨年から始めた。二回目の今回は「ふれあい高新IN伊野」協賛で行われた。 同町駅南町の「すこやかセンター伊野」を出発した一行は野アザミやアケビに彩られた山道を登る。樹木の間から仁淀川の流れが見えると「伊野はやっぱり紙の町、水の町やねえ」とうっとり。 「七色の里」では地元や近隣地区の住民たちが、成山の産品でもてなし。棚田のコメで作ったおにぎりや各家庭のたくあん、しし汁といった山の幸に参加者も「コメの味が違う。おいしい」「汁も肉がいっぱい」と喜んでいた。 【写真】遠くに仁淀川を眺めながら、約120人が“和紙の里”を散策した(伊野町成山)
仁淀川流域十市町村で組織する「流域林業活性化センターによど会」(会長=藤崎富士登・吾川村長)の主催。木材の良さを見直してもらおうと、昨年四月から数カ月置きに開催しており五回目。四トントラック五台分の杉やヒノキの原木を五十センチ前後の丸太や切り株にして用意した。 これまで同様、樹齢四十年前後の間伐材は無料配布。このほか今回は同八十年ほどの切り株を競争入札で販売した。会場を訪れた人は、原木の丸太を吟味しながら、購入希望額を書いて入札。この後、それぞれの丸太の前で結果が発表されると、「しもうた、もっと安く(入札)すればよかった」と悔やむ声も上がった。一抱えもある切り株が十二円で落札されるかと思えば、八百円の“高値”もあった。落札した丸太は、主催者側スタッフにチェーンソーでベンチや鉢置き用などに切ってもらっていた。 またナンテン、クリなどの苗木約二百本の無料配布は、三十分足らずで品切れになる人気ぶりだった。 【写真】丸太や苗木の無料配布が人気を集めた「ウッディ・プレゼントフェア」(伊野町北内) |